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diary 大浦信行監督日記
2007年03月21日 12:58
監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)
3月20日(火)快晴。
今福(龍太)さんと話をしていると、いつもその話の奥深さに引込まれていって、浮き世のせちがらさを一時忘れることが出来る。
心が洗われてきて、次第にぼくを異次元へといざなってくれる。
今福さんの言葉は、ぼくたちが暮らし呼吸しているこの現実に漂う制度がばらまく塵(ちり)、芥(あくた)から抜け出て、世界の真理に迫ろうとする。そこへの道程こそが、この世界を確実に捉え直していくのだという逆説。
この逆説の中にこそ、「radical(ラディカル)」の真の意味が隠されていると、ぼくは思う。Radicalと思わず書いてしまったので、改めて今、この映画の中での重信メイのセリフを伝えたい。
「英語の『radical』という言葉の中には、『過激な』という意味と同時に、もう一つのその裏に『根源的』という意味が隠されている。さらに、その『根源的』という言葉の下には、『死の欲望』へと向かう情動が秘かに横たわっている。
だから、社会や歴史、神話や精神の古層から発せられる根源的必然に触れることなしに、過激ということはありえない。そうした根拠を失った表層的な過激さは、ちょっと風が吹けば、簡単に吹き飛ばされてしまう程度のものです」。
喉(のど)もとだけで吠えていることが、新しい時代と世界の表現だと勘違いしている能天気なアーチストがあまりにも多すぎる。
その程度の度量でいくら叫んでいても、結局は制度の中に取り込まれてしまって、ただ単に権力を利するだけの不毛な消費の悪循環におちいっているという、自明のことが、今だ理解出来ないでいるのだ。自己満足の「戯言(ざれごと)」をくり返している自分に気づかないことほど滑稽なことはない。
向けるべき怒りと叫びは、外にではなく自分の内部なのだ。自分の中に巣くう闇に刃を向けるのだ。
自分をずたずたに突き刺し、今までの自分を消し去ることだ。
そして自分を裏切るのだ。その覚悟があるのかな。
今福さんはトークで、海洋学者のジャック・マイヨールの話をした。
今福さんとマイヨールはかつて、神戸で行われたシンポジウムで会ったことがある。意気投合し、ホテルの部屋で二人して夜遅くまで話し込んだという。
その時マイヨールは、今福さんに尋ねた。
「あなたは雪男がいることを信じますか」と。
今福さんは答えた。
「ええ、実際にいるかどうかは別にして、ぼくは信じますよ」と。
その後、マイヨールは雪男を捜しにヒマラヤにおもむき、村の人々に「雪男をみなかったか」と訪ね歩いた。見たという人には「どんな恰好をしていたか」「どこで見たか」と執拗に聞き出し、その場所へ案内してくれとせがんだ。そのようにしてヒマラヤの山中を、「雪男」を捜して彷徨い歩いた。
それから一年後、彼はスイスのあるホテルで首を吊って自殺したのだ。
「なんでなんだ」、とぼくは思う。素潜りで水深100mも深く海中に潜り、イルカと会話し戯れていた彼が自殺しなければならなかったわけは、一体どこにあるのだ。
今福さんは語る。
「マイヨールは、雪男が確実に存在すると信じていた。だから雪男が住んでいる場所に、自分も一緒に行きたかったんです。しかし少なくともそれは、この現実の世界にないことだけは知っていた。大切なのは、雪男がいると信じる心なんですよ」と。
なんて美しい話だろう。涙が出そうなほど感動する話だった。
ぼくはふっと、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を思っていた。
マイヨールのように、透徹した目と心でこの世界を見つめている人がいるのだ。雨宮処凛さんもそうだろう。古川美佳さんもそうだろう。そのような人々は確実にこの世界にいるのだ。そのことをぼくたちに伝え、語る今福さんの精神もまたそうだろう。
今福さんはまた、こんな話もした。
「ぼくはこの映画を見るのは今日で7回目です。7回見てやっとその意味が分かったと、感じたことがあるのです。それはこの映画の後半、針生さんが『夢の果てまで』と云う、そのセリフの意味です。
『夢の果てまで』は、明らかに紋切り型(クリシェ)のセリフです。大浦さんはそれを知ってて、あえて積極的に使っている。あの一言が、今までとは全く違うものとして自分に迫ってきたのです。自分に何かを指し示しているのです。言葉が『言いえぬもの』『名づけえぬもの』となって変容し『言霊』としての力を持ちはじめる。その瞬間、世界がパーンと弾ける。その時、世界はググッーとせり上ってくる。
『夢の果てまで』の一言は、そのような言葉の突起力を持っています。そして改めて、思考の補助線をぼくに突きつけてくれる。そのことに対する発見だった」と。
さらに、金芝河の言葉についても今福さんは語った。
「金芝河の言葉『Your movement cannot help me. But I will add my name to it to help your movement.(あなたがたの運動は、私を助けることは出来ない。しかし私は、あなたがたの運動に私の名前を加えよう。)』の意味は、彼はもう自分の中で何度も死んでいるんです。幾通りもの死者を彼は抱え込んでいる。だからあなた方の助命嘆願は、私にはなんの役にも立たないのです。なんの意味もないことなのです。あなた方の、欧米型の慈善的思考では、私を救えないのです。でもあなた方が望むなら、私の名前をあなた方の運動にくわえましょう、ということなのです」と。
今福さんの語った三つの話、「マイヨール」「夢の果てまで」「金芝河」のそれぞれの言葉の意味を、ぼくは現場の臨場感ほどにはうまく正確には伝えられなかった。でも彼が語ろうとした言葉の根幹の一端は、伝えられたのではないかと思う。
今福さんの話は深い啓示に富み、濁(にご)ったぼくの目を醒ましてくれる。そして世界を純粋な心で見つめる契機を与えてくれる。
会場には、学生さんや今福さんのファンの人たちが大勢駆けつけ、盛況だった。今福さんの人を包み込むような人柄と相まって、ゆったりとしたなごやかな雰囲気がそこには横溢(おういつ)していた。
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