日本心中

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diary 大浦信行監督日記

2007年03月16日 12:53

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月15日(木)曇。
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阿部(嘉昭)さんのトークは精力的だ。速射砲のようだ。
前作「日本心中」の中で描かれている「刺青」の意味について、ユニークな論を矢継ぎ早に展開していく。
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「縄文人は皆、刺青を入れていたんだよ。それが弥生になると、刺青は野蛮なものとして忌み嫌われ、生活の中から排除されていった。その弥生人を起点とする天皇制のもとでは、当然刺青は否定され、犯罪者の顔に入れるといったように、社会の負の要素としての位置に貶(おとし)められていったわけね。
だから逆説的に云えば、刺青は天皇制を否定するものなんだ。その刺青を大浦さんは「日本心中」の中に取り込み、針生一郎の言説の背後に忍び込ませていった。それは完全なる天皇制の否定なんだよ。この表現はすごいことだと思うよ」と。
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反(かえ)す刀で阿部さんは、今回の「9.11−8.15」に出てくる登場人物の「顔」の描かれ方についても言及する。
「鵜飼さんや針生さんの顔を暗くして輪郭をぼかし、特定出来ないようにしていく。そのことによって一つの固定した「顔」に対する我々の概念を打ち砕いていく。それに変わって登場人物たちの新たな「顔」をつくり出し、画面に幾重もの顔として拡散させていった」。
「魯迅が云っていた言葉だけど、1920年代の中国人の顔は皆のっぺりとしていた。ところがその後、立体的な顔立ちに変わっていったんだね。なんでだと思う。それはね、中国の社会に欧米の映画が入ってきたからなんだよ。それで中国人の顔も、次第に立体的になっていったと云うんだね」。
「重信メイの顔は、アジアの顔じゃないね。あれは世界人の顔だね。どこにでもありそうで、どこにもない顔ということだ。云ってみれば分節された無数の重信メイがいて、その彼女が金芝河に会いにいったんだよ。そこから次第にアジアという概念も変容していくということだね」。
うーん、さすがに映画評論家だなぁ。まさに阿部語録だ。だてに映画を数見ている訳じゃないんだね。よくまぁ、核心を捉えてそれを自分の側に引き寄せて論を張るものだなぁと、唸(うな)る。
評論家と喧嘩する時は、余程気をつけなきゃな。逆に返り血を浴びるね。
「今度また一緒に飲もうよ」といって、東中野のホームで別れた。
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