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diary 大浦信行監督日記
2007年03月13日 14:39
監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)
3月12日(月)快晴。
ポレポレに行くのに、代々木上原で乗り換えるのを忘れて表参道まで行ってしまった。
東京スポーツ、”小川と高田の確執”という記事を夢中で読んでいた。どうなるんだろう、この二人。
あわてて引き返して映画館に着くと、針生さんはもうすでに来ていて、スタッフと話をしていた。
針生さんは4日に続いて、2回目のゲスト出演。
「9.11-8.15」のホームページに投書欄があって、針生さんへの感想がたくさん書き込まれている。
「針生さんの話をもっともっと聞きたい・・・・これって恋?!」、
「鬼論客だろうと思っていた身構えを打ち砕いてくれた」、
「自分の失敗を謙虚にさらす気概」、
中には「監督トークという名の針生独演会」というのもあって、針生さんへの期待度がこちらサイドにも伝わってくる。
それで前回に引き続き、今回もたっぷりと針生さんに語ってもらおうとぼくは考えていた。
しかし舞台の上で針生さんは、「大浦クンから何かしゃべってよ」と云う。おっと、フェイントだ。不意を突かれて慌てた。しょうがないので撮影時のエピソードを話すことにした。

大久保のコリアンタウンの一角にある、韓国料理店での針生さんへのインタビューの時のことだ。
三つの部屋を使っての撮影のために、スタッフ一同朝9時から仕込みに入っていた。三つの部屋が全く別の場所であるような空間につくり変えていく。その中で三つの主題に絞って、針生さんに話を聞いていくのだ。
いつもそうだけれど、セッティングはいくら時間があっても足りない。またたく間に時間が過ぎていく。ましてや同時に三カ所での撮影。2時からの本番スタートがあっという間にやってきた。全員昼飯抜きということになってしまう。食べている暇がない。
そういうことはよくある。
この映画の爆破シーンを撮影した時のことだ。我々スタッフは、朝8時に奥多摩の現場に到達。午後からの爆破シーンの撮影に合わせて、総勢15、6人のスタッフはてんやわんやの忙しさだった。そのため、弁当は用意してあったけど、カメラマンの辻クンとカメラ助手の戸田クンは昼飯にありつけなかった。
結局弁当を食べたのは、撮影が終り器材を片付けた後の、夕方6時頃だった。
そのようにして、あの秋深い山間の小屋爆破シーンは撮った。
で、話を韓国料理店にもどすと、ぼくたちはなんとか2時までに準備を終え、あとは針生さんの到着を待つだけになった。しかし、待てど暮らせど針生さんは来ない。もしやしてと、いやな予感が走る。2時半過ぎに針生宅に電話。針生さんはしっかりと家にいた。
「えっ、明日じゃなかったの」「すぐ行きます」。それから1時間半後、おもむろに撮影場所に到着。
「大阪に行ってなくて良かった」と、最悪の事態だけは回避されたことに感謝し、ホッとする。
その他、針生さんにまつわる幾つかのエピソードを話した。
例えば、街を歩く針生さんの歩き方が、フェリーニの「81/2」に出てくるマルチェロ・マストロヤンニの歩き方を彷彿(ほうふつ)とさせる、と知人が云っていたという話など。
それらの話に引き続いて針生さんのトークが始まった。いつものように後半に入るにしたがって調子が上っていく。結局今日も45分程のトークになった。
その後、針生さんと、CMディレクターの和田クン、ぼくの三人で、小田急線に乗って帰った。
電車の中で和田クンが、この映画の後半、針生さんが「夢の果てまで」というセリフの意味を取り上げていて、「あの一言は、今まで進んできた映画の流れを一挙に引っくり返してしまう強い衝撃力を持っている」と云っていた。
針生さんもぼくも「なるほどねぇ」と、そのユニークな考えに耳を傾けていた。
たしかにあのセリフは、クリシェ(紋切り型)として、意図的に臭いものとして使ったもの。映画の中で成立する暗黙の記号。映画という神話的時間での出来事。
和田クンは成城学園前で、針生さんは読売ランドでそれぞれ降りた。ぼくは新百合ケ丘で降りた。
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