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diary 大浦信行監督日記
2007年03月12日 17:15
監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)
3月11日(日)午前中雨、のち快晴。
アカシアの花が黄緑に色づいてきた。
その木が何本も並んでいると、視界がパッと黄金色になって、一瞬、異世界にいざなわれるよう。
「アカシアの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい」と歌う西田佐知子。マイクの影に隠れてしまいそうなほど細身の西田佐和子。古いなぁ。
今日のゲストは映画監督のジャン・ユンカーマンさん。
中で映画を見ていて、終り頃ロビーに出てくる。
「今日で二回見たけど、二回見ると分かりやすい映画だね」と開口一番。
ユンカーマンさんは、「日本国憲法」という映画を二年程前につくった。
だからその話を聞きたいと、ぼくは思っていた。
トークで彼は答える。
「日本国内だけで改憲だ 改憲だと騒いでいるけれど、そこにはアジアからの視点、外国からの視点が確実に欠如しています。外からの視点でもう一度、日本国憲法を捉え直そうと考えたんだ。するとそこから、我々が日常気が付かなかった新たな光が見えてくるんですよ」と。
それを受けてぼく。
「68年型の硬直した革命観や、それに変わっての70年万博に起因する新たな歴史認識のそれぞれに決定的に欠落しているものは、アジアから世界を捉える視点。
アジアの民衆の底辺に横たわる神話性を、「革命的解釈としての神話(金芝河)」として再生させ、現実の世界の中にどう取り入れていくかということではないか。それは根拠のない妄想ではない。人々の魂が叫ぶ声に耳を傾けていく、ということなのです」。
そこから新たな「宇宙音楽的世界観」が開かれていくのではないか、とぼくは思っている。
さらにユンカーマンさんは、こうも述べていた。
「アメリカの巨大メディアは、徹底的にブッシュや国防省、国務省が報道するままを伝えているだけ。そこにはメディア独自の目を通した批評精神が働いていないのです。だから、自浄作用といったものも生まれてこない。それは怖いことだ」と。
それは、欧米の報道を真に受けただけの日本でもそうだ。
「自爆テロ」という言葉を、なんの疑いもなく、そのまま使っている。あれは自爆テロなどではなく「自爆攻撃」と云うべきものなのだ。9・11が起こる以前からの、米国が行ってきた「国家テロ」こそが問題。
このようなメディアの流す報道の欺瞞(ぎまん)性を描いた映画、「チョムスキーとメディア」が、今ユーロスペースで上映されている。
是非見て下さい、とユンカーマンさん。
彼の軸足のぶれない一貫した批判精神に、ぼくは背筋がしゃんとなる。
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