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diary 大浦信行監督日記
2007年03月09日 12:10
監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)
3月8日(木)晴。
小倉(利丸)さんに久しぶりに会った。
小倉さんとはもう随分長いつき合いになる。ぼくの大切な盟友の一人。
彼は、「天皇コラージュ作品問題」を1986年の発端から、ずっと引っ張ってきた人だ。この問題が抱える「天皇とアート」という表現の核心を当初から突き、それを市民に呼びかけ、事務局長のような役割の中で孤軍奮闘してきた。ぼく一人では、巨大な制度に立ち向かっていっても、途中で息切れしただろうと思う。
そんな小倉さんとぼくとの関係だから、トークでの話もかみ合って、どんどん進んでいった。30分の予定を軽く越え、45分近くもしゃべった。もっと時間が欲しかった。
そもそも今回の「9.11-8.15」や前作「日本心中」という映画をつくってきた発端は、「天皇コラージュ作品問題」に起因する。14点の版画連作「遠近を抱えて」は、皮膚の毛穴にまで染み込んだ内なる天皇とぼくの自画像を描いたものだった。
そして、「遠近を抱えて」という同名の映画をつくったのは、一個の人間が抑圧されながらも表現し続けていくことの意味を、それこそ玉砕覚悟で国家や権力に向かってぶつけたかったからだ。
その主題は受け継がれていく。辿り着けない遠い未来の希望に向かって、ますます日本近代の闇に降りていく自分感じる。
次の映画は「筑豊」をやりたいんだ。あそこには朝鮮人強制連行で連れてこられた人々と、沖縄、奄美からやってきた人々が、差別されながらうごめき回っていた場所だ。しかし筑豊という近代の闇の地底には「シャーマニズム」を媒介にして、豊かな祝祭の場が形成されていたと、ぼくは仮定する。この場所で、朝鮮と沖縄、奄美のそれぞれのシャーマニズムが融合して、独特の「筑豊シャーマニズム」が誕生したと考える。最底辺でありながら最も豊穣(ほうじょう)な空間が、そこに出現していたのだと。
地底から噴出する無数のシャーマニズムが発する微光は、やがて国家をも越えていくだろう。国家という制度を解体していくだろう。
これを「革命」というんではなかったか。文化による革命と。
小倉さんと話をしていると、ついつい本音でしゃべってしまう。
小倉さんはいつも忙しい。トークが終るとさっと帰っていった。「じゃ大浦さん、これで失礼」と云いおいて。
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