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diary 大浦信行監督日記
2007年02月28日 05:24
監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)
2月27日(火)快晴。

今朝方、瀧口(修造)さんの夢を見た。
瀧口さんの家で、二人で向かい合って、細長い形をした長方形のお好み焼きを食べている。
花柄のビニールをかけた、安そうなテーブルの上で食べていた。
どうも、亡くなった女性詩人の、11年目の追悼会で瀧口さんに会い、その帰りに寄ったらしい。
ぼくが質問する。「追悼会のタイトルの、真中に書いてある漢字の意味はなんですか」。
瀧口さん、「あれは“11年目”という意味ですよ」。
「フーン」とぼく。
「台所にちらし寿司がつくってあるんですよ。向こうにいきましょう」と瀧口さん。
ぼく、「はい」と云う。
どうも瀧口さんは、一人暮らしのようだった。
四畳半程の台所兼リビングと、六畳程の床の間の安アパートに住んでいた。

折々に思い出すことがある。
忘れ得ぬこととして、今もぼくの心の鼓動を揺らし続けている。
それは、金満里(キム・マンリ)の身体についてのこと。
彼女の身体表現を、“大野一雄 百歳記念公演”で見た。
床の上をいざりながら、ゴロン、ゴロンとゆっくり転げ回る。
時々、正面を見据え、観客を睨みつける。
「どう、私の体を見なさいよ、ほら」、「石を投げてきなさいよ」と、ぼくたちを挑発してくる。
彼女は素裸の上に、全身黒のあらい網のレオタードを身につけているだけ。踊りらしい踊りは何もしない。床の上を這っている。地中に潜む土蜘蛛のよう。
ただそれだけの行為なのに、なぜかぼくを圧倒し続ける。額から汗が滲み出てくる。金縛りにあったみたいにぼくの体は硬直し、微かに息をするのが精一杯。
金満里。彼女は在日の重度身体障害者。
3才の時に小児麻痺にかかり、それ以来24時間介護の生活を送っているという。
自分が美醜(びしゅう)を抱え持っている存在であることを、自ら凝視していく。
食べものを口に運ぼうとする何げない動作や、アー、アーと力と熱を込めて言葉を発しようとする意志、時間をかけた困難な歩行が、日常の行為することの意味の一つ一つを批評性の俎上(そじょう)に載せていく。
そこから生じてくる時間のずれや、行動の緩慢さの連続が、ぼくたちの心奥深くに眠っていた遠い記憶を呼びさまし、そこに新たな陶酔を生み出していく。
その瞬間、この世界の裏側に潜む、血の色をした懐かしいもう一つの世界が、パックリと立ち上ってくる。
そして重力の軛(くびき)から決して逃れられないぼくたちの世界のありようを、再識させていく。
だからこそ、もう一つの世界を目指す旅への熱望もまた、加速されていくのだ。
追いつめられ、自尊心を否定され続けた果てに、人間が本来宿している根源的な魂の領域へと達し、その地平から、身体の動きを言語化し、理論化していく。
在日であり、障害者である金満里の、この世界のどこにも所属出来ない魂の彷徨が、豊穣な果実の恵みを彼女に与えていく。
やがてその魂は、宇宙の中に溶け入り、浮遊し、微粒子となって、次第に宇宙と一体になっていく。
金満里の「破壊と浄化と再生」は、とめどもなく沸騰する想像力を、ぼくに与えてくれる。
その想像する行為の連続によって、映画自体がその内部に宿す「神話的時間」が、今まさに、その姿を表そうとする。

大浦信行
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