日本心中

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diary 大浦信行監督日記

2007年02月03日 02:05

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

2月2日(金)快晴。
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9時15分起床。朝定番の納豆ごはんに、すり胡麻入り、わかめの味噌汁、スクランブルエッグ(卵2個)。胡麻は禿げ防止にいいらしい。さらに精神を安定させもするらしい。なんてたって胡麻だから。
午前中、古川(美佳)さんと電話で、小1時間程話す。
今回の映画上映に向かっての、マスコミ対応について色々と話し合った。
古川さんは前作「日本心中」と、その続編にあたる本作「9.11ー8.15」の韓国語監修をやってもらっているぼくの古くからの友人。韓国・朝鮮を軸にして、志を同じくする盟友。当の韓国人もびっくりするほど韓国語が上手だ。
金芝河が、神話や自分の詩の世界、東アジアの文化共同体などの難しい内容を20分近く一気に話をしても、煥発(かんぱつ)を入れず、立て板に水のごとく日本語に置き換えていく。
一瞬のうちに内容を把握する動物的直観力と、表現する情感の豊かさに、いつも驚嘆させられる。
通訳する時、言霊が古川さんの中に降りてくるのだと、ぼくは思う。

「閔妃(ミンビ)暗殺」読了。
とにかくおもしろかった。と同時に深く考えさせられもした。また、心からの怒りもおぼえた。おい・あほっ 日本人と。
明治の帝国日本が、李氏朝鮮王朝の王妃を暗殺した事実の記録。
時は19世紀末、ロシア、イギリス、アメリカなどの世界の列強と、そこに遅れて仲間入りを始めた日本が、朝鮮を植民地下しようと、虎視眈々(こしたんたん)と狙っていた時の、帝国主義全盛の時代の出来事。
日本の公使が主謀者となり、日本の軍隊、警察、暴徒民間人を使って王宮に乱入させ、公然と王妃を殺害したのだ。1895年(明治28年)のこと。
金芝河に強い影響を与えた「東学党」の、抗日反乱もこの時期に起きている。
閔妃暗殺は国際関係史上、例を見ない暴挙であり、日韓関係に今なお暗い影を落とす根源的事件なのだ。こともあろうに、一国の王妃を殺害するなんていう野蛮なことが、日本国の名のもとに行われたとは。その証拠に、実行者たちは全員無罪になったのだ。お咎(とが)め無し。
それどころか、その後、彼等は皆、出世していったのだ。
枢密院顧問になったり、大臣を歴任して政党の総裁になったり、新聞社の社長になったり、また中には陸軍大臣なんてのもいる。茶番だ。
閔妃は類いまれな才智をもって、朝鮮王朝に君臨した美貌の王妃だった。唯一、一枚だけ残っている写真を見ても、聡明で毅然とした勝気そうな、細身の美人だと分かる。
この彼女が、まあ無能の夫の国王(高宗)に取って代わって、国の執政をとり行い、権力の座を狙う夫の実の父親である大院君とも、幾度となく覇権争いを展開していく。
凄まじいまでの、強気な政治的腕力。容赦なく政敵を暗殺していく。そしてロシア、日本を手玉に取っていく。
一方、家庭では無能の夫を愛し、障害のある体の弱い息子を溺愛してやまない。なにか朝鮮女性の持っている激しさと、深い慟哭からくる愛を体現している人だと思えてくる。
それにしても、中国大陸に眠る豊富な資源を手に入れる為の足場を造るといって、人の国に土足で上がり込んで、朝鮮の人々の頭の上を、なんの遠慮会釈も無くどかどかと踏みつけていった帝国日本の行ったこの事実を、今どれだけの日本人が知っているのだろう。
日本人はもう忘れてしまったかもしれないけど、また、そんな事実があったことさえ知らないだろうけど、朝鮮の人々は決して忘れていないのだ。許してなどいないのだ、今でも。心の奥深くの記憶の襞に、しっかりと刻印されて、今日も在り続けている。
角田房子氏の閔妃に寄せる思いが、静かに伝わってくる渾身の力作だった。
筆の力を抑えに抑えて。
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大浦信行

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