« 現代美術家・天明屋 尚さん、ポレポレに。 | メイン | 大盛況! »
report 撮影報告 動画付
2006年11月11日 16:22
撮影の記憶より 辻智彦(撮影)
2. 椹木野衣氏と針生一郎氏の対話 2001年11月27日
2001年11月27日、9.11から2ヶ月半。衝撃がまだ生々しく、人々がそれをどううけとめるべきなのか戸惑っていた頃、この対話は行われた。晩秋の穏やかな日中、しんと静まった喫茶店に、2人はやってきた。
針生氏は席に着くなり、思慮深い普段の語り口とは異なる、いつになく熱っぽい口調で9.11の衝撃と、そこで感じた自分自身の感情を率直に語りだした。独白のようでもあり、問いかけのようでもあるその溢れでる言葉を、じっと聴き、メモに書き留める椹木野衣氏。針生氏の抜き差しならない発言を受け、冷静な早口で自らの考えを語りだした。親子以上に年の離れた、それぞれの時代に真摯に対峙してきた2人の批評家は、現在進行形のこの事態に何を感じ、どう考えるのだろうか。
この日の撮影は重苦しいものだった。
9.11の後の、アメリカのマス・ヒステリーと言いがかりのようなアフガン戦争。メディアはいいように操作され、いつのまにかあの間抜け面の大統領が、新世紀最初のヒーローのように表象されていた。あの醜悪なハリウッド製映画「インディペンデンスデイ」でさえ、ビル・プルマン扮する大統領はもう少しましな知性の持ち主ではなかったか?そんな絶望的な新世紀、世界が醜悪さに覆い隠されていた秋だった。
狭い室内、ロケハン後に撮影プランを考えた結果、カメラは一台で行くことにした。バジェットの問題ももちろんあるのだけれども、この緊密な空間で緊張感の高い対話が交わされることは明白であり、その緊張感、今まさに起こっている事態について考えをぶつける場の緊張感を、自分自身も共有し、表現に直結、映像化していこうと考えたのも確かだ。そうして2人の人物の対談をカメラ一台で撮影するという、通常ではまずやらない方法をとることにした。
カメラを簡易移動車に載せ、自分のリズムで押し引きする。レールを対話する2人と平行に敷き、それぞれの側にカメラが動いて入れるようにした。もちろん撮影のために対話を中断することはありえない。それぞれが語る言葉に合わせてカメラが緊張感をはらんだリズムをつくりだして行くべく動くのだ。ただ語っている人間の顔が見えるようにお互いのポジションにカメラが入るという機械的な移動撮影ではなく、時には語っている側の人物がいっさい写っていなくとも、その場に投げ出された問題の在処、目では見えない想念の領域をカメラで捉えなければいけないと思った。
セッティングが終わるころ、椹木野衣氏がやってきた。僕はこの時が椹木氏との初対面。あれ?失礼な話だが、前に写真で見た時よりなんかぽっちゃりしている!
精悍な芸術青年風の容貌を想定していた僕は、重ねて失礼な話、いささかめんくらってしまった。これはうっかり撮影すると、あのアート系学生のカリスマ・椹木野衣がただの太ったオタクにしか見えない!(椹木さん、本当にごめんなさい!!)ポーカーフェイスを装いながらも、僕は内心どうしたものかとあせっていた。撮影には常に、思いもよらないトラブルが潜んでいるのだ。
椹木野衣氏の風貌に内心慌てた僕は、頭の中を急回転させ、どうすればいいかを考えた。結論は10秒以内に。自分の方針を内面化させ、切所で瞬間的に表出させる。これがドキュメンタリー撮影の肝だといつも痛感する。ものを深く考えている人物でも、いざ目の前で何か起きた時、瞬間的にその出来事に対して判断が出来なければ、その思想の力は弱いものになってしまうだろう。まして僕のような仕事をしている人間が、瞬間的に己の基準に基づいた正しい判断が出来なければ、普段撮影について偉そうにいろいろ語っている言葉も、つまるところ無意味になってしまう。
ということで、出した結論が、「顔があまり見えないように撮る」だった。ほとんど反則なのだが、これは正しいと直感出来た。つまり、対話者2人に漂うであろう重い空気、それこそが今日の対話のメインテーマであり、監督の大浦さんとも確認していた狙いどころだった。この日本で生活していることで、抱え込まざるを得ない原罪のようなもの、それはこの撮影現場にも漂っているはずであり。それをあぶり出すことはこの日のテーマの一つでもあると思った。自分たちをいまここに存在させている条件そのものに目を向ける、椹木さん的に言えば、「還元のポップ」の意識を踏まえて、セッティングの修正をおこなった。
具体的に修正したことは、ますカメラの高さをあげることだった。高めの位置から人物を狙うことによって、映画を観る人は、彼らが置かれている状況というものに意識が向くようになると考えた。それからカメラが人物を通り過ぎるカメラワークを多用すること。定まらない視点が、用意に答えを出せない時代状況に誠実に対応出来ると考えた。これらの案は、もちろん「どうやったらオタクの紋切り型に人物のイメージを落とし込まれないようにするか」という苦肉の策から発生したのであったのだけれど、結果的にはうまく行ったと思う。現場はなんだかんだいって、こういうことがとても多いのだ。決して手抜きしている訳ではない。事実、この日の対話も予想通りの緊迫したものとなり、その核心を、映像でもかなりいいところまで追い込めていたと思う。感想は観た人にゆだねよう。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.nihonshinju.com/mt/mt-tb.cgi/133
