日本心中

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report 撮影報告 動画付

2006年11月04日 16:13

撮影の記憶より 辻智彦(撮影)

1. 鵜飼哲氏と針生一郎氏の対話 2001年1月30日

それは2001年、薄雪が舞う寒い1月のある日に、一橋大学の構内にある古い建物で行われた。この映画の最初の撮影シーンでもあった。
9.11の約8ヶ月前。ブッシュ米大統領就任直後のことだった。
大統領の座をめぐって争った、その怪しげでいやに陰謀めいた選挙戦は、今から考えるとその後の世界の惨状を、きなくさく先取りしていたのかも知れない。

対話は、鵜飼氏が針生氏の批評活動の根拠を問うところから始まった。
柔らかく慎重な鵜飼氏の口調は、しかし厳密で鋭い。
針生氏も鵜飼氏に問われながら己の批評を振り返り、思わず痛恨の言葉が口をつく。
戦後の間もなくまでは、日本の美術界に確かに萌芽していた、真に新しい表現はどうして破産していったのか。いつしか天皇制システムに絡みとられ、頽落していった戦後日本の表現。山下菊二の描いた作品群が、ついに生まれなかった子どもたちに、無言の祈りを捧げているようにみえた。

この日の撮影を思い出してみた。
雪の積もった地面から容赦なく冷気が忍び込んでくる、底冷えのする日だった。戦前に建てられた大学の旧館は冷たいコンクリートとレンガ造り。真昼だというのに館内は薄暗い。僕たち撮影隊は、カメラ2台と移動車、それに照明機材を室内に運び込んでセッティングを開始した。
幸い電源容量には問題ない。それほど広くない室内を見回しながら、夕暮れの光の廻りを想像してライティングを決定していった。撮影は夕方スタートだ。

夕方近く、鵜飼さんが現れた。が、なんとゼミの学生さんたちも一緒に来てしまった。針生さんとの対談を是非見学したいというのだ。狭い室内、学生さんたちの居られるスペースは撮影プランに全く入っていない。どうしたものかと一瞬頭を抱えたが、臨機応変の対応は現場のイロハ、とっさに学生さんたちも画面に入れ込むことにした。
部屋の後ろに椅子を並べ、照明を暗く落した中に、並んで座ってもらう。針生さんの背景に、かすかにうごめく人影としてご出演願うこととなった。
即興のアイデアというものは、しばしば思いもよらない効果を画面に与えてくれる。針生さんの背中に、戦後日本の抑圧された無意識が、ぼんやりと、そしてはっきりと姿を現した。

日が暮れるのに合わせ、撮影開始。もう一台のカメラをオペレートしてくれる角山君は、1ヶ月以上の海外ロケを一緒に過ごしたこともある、気心の知れた奴だ。
かなり特異なルックで押し通すこの映画の撮影では、僕の方法を良く理解してくれる撮影スタッフが必要なのだが、彼なら安心して任せられた。

針生さんと鵜飼さんの緊迫した対話。寒さにもかかわらず、三脚のハンドルを持つ手もじっとりと汗ばんでくる。リターンモニターで返ってくる角山君の映像もいい感じだ。録音の川嶋さんもマイクブームを手に、ヘッドホンにじっと聞き入っている。撮影中は感触を掴みにくい監督の大浦さんも、禁煙パイポを三本の指でぐっと握り、対談内容の準備稿とモニターを交互に見比べている。悪くない反応だと思った。


余談だが、この時撮影助手として来てくれていたM君は、その後撮影助手の仕事を辞め、チェチェンに渡り、ムスリムに改宗して反政府ゲリラと合流した。9.11の直前だった。9.11の後、長い間行方不明だったが、ある時グルジアで拘束され、無事?日本に送還されてきた。その後彼とは話をしていないが、何が彼をその行動に駆り立てたのだろう。行動派の彼なら考えた結果ではないというだろうが、なら彼の無意識の衝動は、何に由来しているのだろう。

この映画をめぐるテーマとの奇妙な符合を、僕は感じてならなかった。

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