日本心中

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2006年08月29日 12:00

鶴見俊輔(つるみ しゅんすけ) 哲学者

鶴見俊輔鶴見俊輔とは
哲学者。1922年東京生まれ。15才で渡米、ハーヴァード大学哲学科卒業。アナキスト容疑で逮捕されたが、留置場で論文を書きあげ卒業。少年・青年期において、日本とアメリカという、全く異なる世界観と言語のもとで人格形成を行ったという事実は、後の思想家としての行動と言説を決定づけた。戦中交換船で帰国、海軍バタビア在勤武官府に軍属として勤務。
戦後まもなく、戦争によって混迷に陥った日本人の思想の建て直しをめざして、丸山真男、武谷三男、都留重人らと、1946年「思想の科学」を創刊。同時代の思想運動への批評・分析を通して、思想を出来上った論として論じるのではなく、人間が社会的現実のなかで生き抜いていく際の主体的営みとして捉え、左翼や右翼といったイデオロギー自体ではなく、それを唱える人の内面に即して思想を論じる視覚を確立する。
また、「共同研究、転向」においては、転向を自分自身の問題として受け止め、戦中の自分の意識の状況を転向と認めるという自己洞察から出発した。その真摯な眼差しを基底に宿しながら、論は構築されていった。共同研究の主な対象は、非転向の立場に残っている人びとの側から、転向者を追求し落しめるという動機よりも、戦前の自由知識人の軍国主義支持への転向であり、敗戦後の軍国主義者の平和主義、自由主義への転向であった。その研究は当然の帰結として、日本の自由知識人の集団の崩れ方を自覚し、記録することとなっていく。
その「転向」論に不備があったとし、近年の「転向再論」では、転向を「アイデンティティー」の喪失として捉えるのではなく、「インテグリティ」(統合性)という規範をもとに考えることによって、非転向への不毛な固執を避け、転向前と転向後の思想の継続への確認作業にその主眼が置かれている。
1956年に提言された「限界芸術」論は、今日の混迷する芸術の状況をすでに予見し、それが抱え込む問題を指摘して啓示に満ちている。その限界芸術は、生活と芸術の周縁にある人類の芸術の根源に焦点を合わせ、暮らしとも見え芸術とも見える縁の部分が限界芸術であるとして、落書き、雑談、アダナ、かるたとりなどが分析の対象となっていく。それらの行為を通して純粋芸術と大衆芸術を相対化し、隅っこにおしやられたもの、芸術と非芸術の識別がつかない境界に位置するもの、誰の目にも忘れ去られたままになっているものを見詰めて論を展開していく。人は子どもの遊びを通して限界芸術に触れ、その後機会を得て大衆芸術、純粋芸術に近づいていく。この二つの芸術の発展の契機を握っているのが限界芸術なのだ。そのような独創的な視点と思考方法は、アメリカで受けたプラグマティズム(実証主義)の思想から多大な影響を受けたことに起因し、それが彼自身の身体を還流し血肉化されていったものだった。
自分の身近にある生活のものごとをブリコラージュし、断片を練り上げるように思考していくその態度は、60年安保改定に反対し、市民グループ「声なき声」の結成や、65年、ベ平連への参加へと受け継がれていく。
近年では、「憲法九条の会」を加藤周一、大江健三郎らと結成し、再軍備に向かって大きく舵を切りつつある今日の日本の現状を鋭く批判し、警鐘を鳴らし続けている。その彼が語る。「日本の近現代が置き去りにしているものを拾い集め、それが与えられた社会の中でどのように生きているかに関心がある。」ここに「日本の良心」が蠢いている。
著書に「鶴見俊輔集」(全12巻)、「戦後日本の精神史」、「戦後日本の大衆文化史」、「アメノウズメ伝」、「限界芸術」、「太夫才蔵伝」他。

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