日本心中

diary 百合花日記

2007年03月23日 15:34

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月23日(金)晴。

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今日のゲストは増山麗奈さんでした。
これからも大いに頑張って欲しいと思います。

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今日で3週間にわたったロードショー上映も終った。
上映を機会に色々な人達に出会えた。
普段よく会っている人もいれば、折々の仕事で一緒になるだけの人など、千差万別のゲスト陣と会話を交わすのは楽しかった。それぞれの人たちの、この映画についてのユニークな感想を聞きながら、なるほどねぇーと思ったり、ゲストの話に引き込まれて、ぼく自身が今まできづいていなかった自分の映画の無意識の部分を刺激され、それが言葉となって意識の上にのぼってきて、再認識させられるということもたくさんあった。毎日ゲストと話をするのは大変で、難儀なことだと思われるかもしれないけれど、決してそんなことはなかった。逆におもしろくワクワクする3週間だった。
というのは、宣伝のスタッフミーティングで、今回は毎日ゲストを迎えるという決定をした時、ぼくは次のようなことを考えていた。
表現者は、映画なら映画、絵なら絵、彫刻なら彫刻というように、作品をつくってしまえばそれで充分なのかもしれない。それがすべて。作品に本人の全エネルギーと全思想を注ぎ込んでいるのだから、表現者はあまりべらべらしゃべるものじゃない、という意見も一方にあると思う。それも一つの見識だ。
しかしぼくはそうは思わない。
作品に全エネルギー、全思想を込めるのは当然のこと。
ただ、そこに一つの落とし穴があると、ぼくはいつも感じている。作品がすべてというその発想の裏には、密かに芸術至上主義の毒牙が隠されている。
作品に個人のサインをして、「俺の作品だ」と泰然としているその態度が形成されたのは、たかだか近代300年のこと。オリジナル信仰を無批判のまま受け入れ、作品をつくっていることほど人々を小馬鹿にした傲慢な態度はないとぼくは常々思っている。

世界や宇宙のリズムに突き動かされるようにして出来上がってきた作品は、再び自己の身体を通過して人々の前に投げ出され、還元作用を起こしていく。そして最後は宇宙の微粒子となって「宇宙音楽」を奏でながら、この世界の真っただ中に漂い続けていくものだと、ぼくは考えている。
そのように考えているぼくにとっては、多くのゲストの人たちと会話を交わし、観客の皆さんと共有する時間と空間を持てたこともまた、作品の一部だと思っている。そのことは、永遠に終らない未完の作品を抱え込んで、ぼく自身が無名性の名のもとに生き続けるということでもある。だからたくさんのゲストの人たちとの出会いは楽しかったのだ。映画が媒体となって、そこから遥かな到達出来ない遠い希望もまた生まれてくる。そして次なる映画の旅が再び始まる。
ゲストの皆さんありがとうございました。映画館に足を運んで下さった多くの観客の皆さんにも感謝したいと思います。また次の映画でお会い致しましょう。

スタッフも紹介したい。
前作、本作ともすばらしい映像を撮ってくれた辻智彦クン。
近年彼は、若松孝二氏の映画を立て続けに3本も撮っている。この春には、中国のテレビ局制作のドラマ60話を彼一人で撮るという。中国からじきじきに彼に依頼があった。快挙。
録音の川嶋一義さん。大ベテラン。数々の修羅場をくぐってきた。うちの撮影チームの要として、縁の下の重しのような役割をはたしてくれている。大久保彦左衛門のような人。
制作の中村江位子サン。おっとりとしたマイペース型の性格が、時として現場の緊張感をほぐしてくれた。一服の清涼水。ちなみに、今回の映画の冒頭の橋を巡るシーンにかぶるナレーションは、彼女の声。無機的な声質の中に、そこはかとない哀しみをたたえて愁眉。
もう一人の制作、中村篤クン。撮影当初からこの映画に賛同してくれていて、そのゆったりとしたキャラクターが現場を楽しくさせていた。
韓国語監修の古川美佳さんは、前日(22日)の日記で書いた。
宣伝・配給のシネマチック・ネオ代表である工藤貴之クン。宣伝戦略の基本を練り上げ、足で稼いでチラシ9万枚を配りまくった。苦悩しながらも果敢にチャレンジしていく不屈の精神に脱帽。
宣伝フタッフの中里佳世さん。いつもニコニコしていた。その笑顔がかわいい。
同じく宣伝スタッフの田上真知子さん。言葉少なく、慌てず、さわがず、黙々と仕事をこなしていた。長年の経験から生まれる現場処理は絶妙。
みんなありがとうございました。

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2007年03月22日 14:31

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月22日(木)快晴。

ここしばらくは、冬に逆戻りしたような寒さだったけれど、3日程前から再び春のような暖かさがもどってきた。
桃の花が枝にたわわに花を咲かせている。
木瓜(ぼけ)も真紅色の大きな花を咲かせ、満開だ。
早咲きの桜も咲き出した。こぶしも白い可憐(かれん)な花を咲かせ始めた。
ベランダの大きなかめに飼っている20匹程のメダカも、気温が高くなってきたので水面に顔を出し、水藻(みずも)の間をゆっくりと泳いでいる。冬は冬眠状態になり、水底深くにじっとしていて、姿、形も見えなかった。気温が16度以上になると動き出すようだ。さっそくエサを撒いてやる。わぁっーと寄ってきた。
もうどこもかしこも春だ。早春だ!

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今日のゲストの古川美佳さんは。5時半上映の回の最初から見ていて、映画が終ってそのまま座席から舞台に上がってのトーク。
古川さんはもう5回程も見てくれているのではないかと思う。満を持しての登場。
古川さんの存在なくしては、この映画は語れない。今回の「9.11−8.15」と前作「日本心中」の韓国語監修はすべて古川さんの手によるもの。ただ単に韓国語を通訳するのではなく、その通訳が流暢だと云うのでもなく、古川さんの韓国語と日本語を結ぶ回路の中に「言霊」が宿っている。その言霊に導かれるようにして、金芝河の言葉が古川さんの無意識の古層に眠る死者の声と呼応し、響き合う。そして白い闇を通して世界の時空に言葉が立ち昇ってくる。
そのような倍音となった言葉は、霊力の磁場を形成し、人々の心を揺り動かし、革命の有力な武器にも成り得るのだ。
古川さんとのトークでは、自然と話は金芝河のことに及んだ。
つれづれに、思い出すままに二人で金芝河のことを話した。それは静かな会話の時間だった。金芝河が映画の中で語った言葉、「川の流れがたとえ上から下へと流れているように見えたとしても、その川の底では下から上へ、あるいは渦巻きながら逆流する水だってあるように、多様な、生命のリズムがあるのです。」のごとく、二人の話は上から下へ、下から上へ、そして時として逆巻き、ゆったりとした時間の流れに身をまかせるままに進んでいった。
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そこにはもう一つの時間が流れていたように思う。たった40分程のトークだったけれど、二人の尽きない話は、二時間もの時間が過ぎ去ったのではないかと感じるほど充実し、膨らみをもって拡がっていった。
これを神話的時間というのかもしれない。映画の中の神話的時間が、現実の世界の時空に染み出し、ぼくたちを知らず知らずのうちに揺り動かして、一時もう一つの歴史の時空に誘い出していく。金芝河の言葉が触媒となって、朝鮮と日本の底層に眠る「白い陰」の世界へと、ぼくたちをいざなっていったのだ。
思い返せば、金芝河があれ程までに心を開いて語ってくれたことは奇跡に近いことだったと、今になって気付く。
年月を経て3回の対談とインタビュー。延べ8時間にもおよぶ撮影。原州、晋州、ソウルを古川さんと一緒に回った。
原州はかつて、反独裁民主化を唱えた人々が、権力の軛(くびき)から逃れて隠れ住んだ所。密かに集って勉強会を行っていた場所。ここで針生一郎氏との対談を行った。
晋州は山深いお寺での撮影だった。鬱状態の極限に達していた金芝河。なんとか撮影を開始したものの、いつ病状が悪化するかもしれない。取り合えずカメラを回し続けた。ハラハラしながらのインタビューが進むうち、彼の目は次第に輝き出し、身を乗り出して話を始めていた。そして終ってみれば3時間半ものインタビューだった。
ソウル郊外にある金芝河宅での撮影。穏やかな表情で丹念にメイさんの話に耳を傾け、うなずき、彼女の心をほぐし包み込んでいく。その時もまだ、彼の中では鬱状態が続いていたのだ。
金芝河の人を思いやる、本質的な一面を垣間見たような気がした。

古川さんが、自分がなぜ韓国、朝鮮の文化や美術に惹かれていったのかを話す静かな語りのリズムに、会場の人たちもゆったりとした気持で聞き入っていた。
お椀(わん)を伏せたような丸い土まんじゅうの上に、やわらかい芝が一面におおわれているお墓が、傾斜した山間の風景の中に点在している。
それを見た時、自分の中に衝撃が走ったという。なぜなんだろう。つくった人々の心の根を知りたいと思った。そのような動機に突き動かされるようにして、次第に韓国、朝鮮の民衆文化、絵画の中に分け入っていったのだという。
だから、古川さんが金芝河に出会うのは必然のことだったのだと、ぼくは思う。
金芝河もまた、朝鮮民族の歴史と悲哀を抱え込んで今日を生きる、一人の殉教者なのだから。ぼくは古川さんに出会えたからこそ、前回と今回の映画を完成させることが出来た。それは歴史の時空を超えて漂っていた二つの微粒子が、志を同じくするある目的のもとに出会い、新たな光の束を造り出した瞬間だったのかもしれない。
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2007年03月21日 14:51

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月21日(水)晴。

昨日のトークの後、総勢16人程でポレポレの近くの居酒屋に行き、今福さんを囲んで飲んだ。今福さんは終電間際に帰ったけど、残った7人程で朝6時頃まで飲んで笑ってだべった。
久しぶりに朝までのんだなぁ。家に帰って昼頃起き出し、軽くソーメンを食べ、出かける準備をして、3時からのトークのために再びポレポレへ。
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今日のゲストは福住廉クン。福住クンとは昨年暮れに行われたギャラリーMAKIの忘年会以来、久しぶりに会った。
明るく若さいっぱい、溌剌(はつらつ)とした美術評論家。社会学、カルチュラルスタディーズの毛利嘉孝さんの研究室出身だ。だから福住クンの美術批評は、従来の批評とは決定的に違う。
今までの美術批評の依って立つ根拠が(福住クンの言葉を借りれば)、
「68年型の革命観に依拠した偏狭で男根的批評」か、
「細分化された『いまどき』の文化運動に寄生した批評」のいづれかに基点を置き展開されていた。
しかしそれは不毛な、所詮(しょせん)は近代に取り込まれた制度内制度としての美術の内部の硬直した批評でしかなかった。
福住クンは、鶴見俊輔氏の限界芸術論を基底に据えながらも、それを自己のものとして自家薬籠(じかやくろう)し、21世紀の今日に再生させ、新たな限界芸術の現代的なモデルを模索している。その彼が発言する。
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「鶴見俊輔によって1956年に提唱された限界芸術という問題提起を、これまでの美術評論家はそれを引き受けて深化させることはできなかったし、あまつさえ批評の問題として俎上に乗せることすらなかった。端的に言えば、知ってはいたが、黙殺を決め込んでいたのだ。まさに美術批評の怠慢以外の何者でもない」。
「そのとき必要とされるのは、芸術であるかないかを問うより前に、この世界に散らばっているありとあらゆる事物や事象を身体の水準にまで還元する認識論的な転換である」。
「純粋芸術と大衆芸術がその対立的な図式を溶解させながら資本芸術のもとで渾然一体となっている以上、資本芸術の観点からすれば芸術とは目されないような珍奇な表現であっても、たとえば人の見る・聞く・話す・読む・書く・歩くといったきわめて原初的なレベルにまでシフトダウンすることによって、その資本芸術の色眼鏡を払拭することができるだろうし、曖昧になってしまった暮らしと芸術の地平を目前にとらえることが可能となるだろう」。(福住廉 連続企画「21世紀の限界芸術論」vol.2 ・ギャラリーMAKI製作)
福住廉の登場を待たなければ、このような問題提起が美術界からは沸き上がってこなかったわけだ。
そして彼はトークの場で、この映画に対する独自の論を展開していった。
「革命の根源的な原型としての映画」、
「金芝河の宇宙的な拡がりの中で生の連なりをとらえる垂直的な生命観」、
「鶴見俊輔の軽妙洒落でありながらも力強い語り口とあいまって、金芝河の言葉の衝撃は見る者の心底にずしりと響いてくる、それは忘れかけていた革命への欲望を惹起(じゃっき)させるような経験だ」、
「夢と現実が入り乱れたかのような幻惑的な世界。頻繁に映し出される水辺のシーンは比岸と彼岸のあいだをさまよう霊魂の視点を彷彿とさせ、闇の中で踊られるパンソリは無意識の奥底を垣間見るような幻視的想像力を刺激してやまない」。
うーん、冴え渡っているなぁ。福住クン絶好調だ。
どうしたらこうも明晰に分析出来るものかと、心底、感心して聞いていた。
ぼくはこのような福住クンの批評の骨法に大いに期待している。
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トークが終って、福住クン、ギャラリーMAKIの名物オーナーである坂巻喜美子さん、関さなえさん、スタッフの田上さんなど7人程で連れ立って、ポレポレの近くの焼肉屋へ行ってビールなどを飲んだ。焼肉屋なのに決して焼肉は注文せず(しちゃいけない)、キムチ、ちじみ、カクテキなどに終始する。トークの後の緊張感もほぐれ、大いに話に花が咲いた。

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2007年03月20日 12:58

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月20日(火)快晴。
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今福(龍太)さんと話をしていると、いつもその話の奥深さに引込まれていって、浮き世のせちがらさを一時忘れることが出来る。
心が洗われてきて、次第にぼくを異次元へといざなってくれる。
今福さんの言葉は、ぼくたちが暮らし呼吸しているこの現実に漂う制度がばらまく塵(ちり)、芥(あくた)から抜け出て、世界の真理に迫ろうとする。そこへの道程こそが、この世界を確実に捉え直していくのだという逆説。
この逆説の中にこそ、「radical(ラディカル)」の真の意味が隠されていると、ぼくは思う。Radicalと思わず書いてしまったので、改めて今、この映画の中での重信メイのセリフを伝えたい。
「英語の『radical』という言葉の中には、『過激な』という意味と同時に、もう一つのその裏に『根源的』という意味が隠されている。さらに、その『根源的』という言葉の下には、『死の欲望』へと向かう情動が秘かに横たわっている。
だから、社会や歴史、神話や精神の古層から発せられる根源的必然に触れることなしに、過激ということはありえない。そうした根拠を失った表層的な過激さは、ちょっと風が吹けば、簡単に吹き飛ばされてしまう程度のものです」。
喉(のど)もとだけで吠えていることが、新しい時代と世界の表現だと勘違いしている能天気なアーチストがあまりにも多すぎる。
その程度の度量でいくら叫んでいても、結局は制度の中に取り込まれてしまって、ただ単に権力を利するだけの不毛な消費の悪循環におちいっているという、自明のことが、今だ理解出来ないでいるのだ。自己満足の「戯言(ざれごと)」をくり返している自分に気づかないことほど滑稽なことはない。
向けるべき怒りと叫びは、外にではなく自分の内部なのだ。自分の中に巣くう闇に刃を向けるのだ。
自分をずたずたに突き刺し、今までの自分を消し去ることだ。
そして自分を裏切るのだ。その覚悟があるのかな。

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今福さんはトークで、海洋学者のジャック・マイヨールの話をした。
今福さんとマイヨールはかつて、神戸で行われたシンポジウムで会ったことがある。意気投合し、ホテルの部屋で二人して夜遅くまで話し込んだという。
その時マイヨールは、今福さんに尋ねた。
「あなたは雪男がいることを信じますか」と。
今福さんは答えた。
「ええ、実際にいるかどうかは別にして、ぼくは信じますよ」と。
その後、マイヨールは雪男を捜しにヒマラヤにおもむき、村の人々に「雪男をみなかったか」と訪ね歩いた。見たという人には「どんな恰好をしていたか」「どこで見たか」と執拗に聞き出し、その場所へ案内してくれとせがんだ。そのようにしてヒマラヤの山中を、「雪男」を捜して彷徨い歩いた。
それから一年後、彼はスイスのあるホテルで首を吊って自殺したのだ。
「なんでなんだ」、とぼくは思う。素潜りで水深100mも深く海中に潜り、イルカと会話し戯れていた彼が自殺しなければならなかったわけは、一体どこにあるのだ。
今福さんは語る。
「マイヨールは、雪男が確実に存在すると信じていた。だから雪男が住んでいる場所に、自分も一緒に行きたかったんです。しかし少なくともそれは、この現実の世界にないことだけは知っていた。大切なのは、雪男がいると信じる心なんですよ」と。
なんて美しい話だろう。涙が出そうなほど感動する話だった。
ぼくはふっと、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を思っていた。
マイヨールのように、透徹した目と心でこの世界を見つめている人がいるのだ。雨宮処凛さんもそうだろう。古川美佳さんもそうだろう。そのような人々は確実にこの世界にいるのだ。そのことをぼくたちに伝え、語る今福さんの精神もまたそうだろう。
今福さんはまた、こんな話もした。
「ぼくはこの映画を見るのは今日で7回目です。7回見てやっとその意味が分かったと、感じたことがあるのです。それはこの映画の後半、針生さんが『夢の果てまで』と云う、そのセリフの意味です。
『夢の果てまで』は、明らかに紋切り型(クリシェ)のセリフです。大浦さんはそれを知ってて、あえて積極的に使っている。あの一言が、今までとは全く違うものとして自分に迫ってきたのです。自分に何かを指し示しているのです。言葉が『言いえぬもの』『名づけえぬもの』となって変容し『言霊』としての力を持ちはじめる。その瞬間、世界がパーンと弾ける。その時、世界はググッーとせり上ってくる。
『夢の果てまで』の一言は、そのような言葉の突起力を持っています。そして改めて、思考の補助線をぼくに突きつけてくれる。そのことに対する発見だった」と。
さらに、金芝河の言葉についても今福さんは語った。
「金芝河の言葉『Your movement cannot help me. But I will add my name to it to help your movement.(あなたがたの運動は、私を助けることは出来ない。しかし私は、あなたがたの運動に私の名前を加えよう。)』の意味は、彼はもう自分の中で何度も死んでいるんです。幾通りもの死者を彼は抱え込んでいる。だからあなた方の助命嘆願は、私にはなんの役にも立たないのです。なんの意味もないことなのです。あなた方の、欧米型の慈善的思考では、私を救えないのです。でもあなた方が望むなら、私の名前をあなた方の運動にくわえましょう、ということなのです」と。
今福さんの語った三つの話、「マイヨール」「夢の果てまで」「金芝河」のそれぞれの言葉の意味を、ぼくは現場の臨場感ほどにはうまく正確には伝えられなかった。でも彼が語ろうとした言葉の根幹の一端は、伝えられたのではないかと思う。
今福さんの話は深い啓示に富み、濁(にご)ったぼくの目を醒ましてくれる。そして世界を純粋な心で見つめる契機を与えてくれる。
会場には、学生さんや今福さんのファンの人たちが大勢駆けつけ、盛況だった。今福さんの人を包み込むような人柄と相まって、ゆったりとしたなごやかな雰囲気がそこには横溢(おういつ)していた。
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diary 百合花日記

2007年03月19日 17:21

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月19日(月)晴。

ベランダの大きな鉢に植えてある、たんぽぽの花がもうすでに満開だ。
このたんぽぽは去年4月頃、近くの田んぼの畦道(あぜみち)から10株ほど取ってきたものだ。
この一年間、絶やさず水をやり、強力な肥料の油カスもやったりして、大切に育ててきた。
冬の間は枯れたようになっていたが、この2月初め頃から葉っぱも生き生きと蘇(よみがえ)り、黄色い花を咲かせ始めた。もう50個位の花が咲いている。
花が咲き終わると、茎がみるみる間に延びて、花は柔らかい綿毛となり、空高く飛んで行こうとしている。
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篠田(博之)さんはいつ会ってもニコニコしている。
そのニコニコ顔で、こちらの緊張を一瞬のうちにときほぐし、リラックスした雰囲気をつくり出してしまう。
篠田さんは、月刊「創」の名編集長。出版業界でも有名な人。「噂の真相」がもうすでに廃刊となった今、「創」だけが硬派の牙城を死守している。最近は、「CS・朝日ニュースター」のキャスターをやっている。この番組には日替わりで、重信メイさんも週2回キャスターとして出ている。
篠田さんとのトークも、当然この映画におけるメイさんの存在感に話が及ぶ。
篠田さん、「この映画の重信メイ、いいですねぇ。
全く新しい重信メイの像を引き出しているよ。
メイさん随分得したと思うよ。それに奇麗だね。
この映画を契機に、彼女、映画に進出しないのかなぁ。
そんな話、他から来てないの。実は『朝日ニュースター』のスタッフにも彼女、すこぶる評判が良いんですよ。
大浦さん次、メイさんを使う予定はないの」。
と、篠田さんはどんどんぼくに質問をしてくる。
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ぼく、「うーん、そーねぇ。
実は次の次に予定している映画、『筑豊』にメイさんをお願いしたいとは思っているんですよ。『現代の巫女』として、筑豊の路地に突然表われるような役。筑豊という磁場に新たな光と視点をつくり出していく役回り。
アラブと日本に引き裂かれた彼女の二つのアイデンティティー。これは誰でもが知っているメイさんだと思う。
今回の『9.11−8.15』では、朝鮮半島に向かう彼女の無意識が希求する、もう一つのアイデンティテイーを描きたかった。だから『9.11−8.15』には三つの色彩を持った重信メイがいる。
朝鮮半島に向かうメイの無意識を『筑豊』ではさらに抽出して描きたいんだ」。
「なるほどねぇ」と篠田さん。
しばらく話が進んだ後、篠田さんの口から以外な名前が出た。
「見沢知廉のような人物を、我々雑誌はもっともっと取り上げていかないといけない
んだけどねぇ」。
見沢知廉については、3月6日付けの日記でも触れたけれど、彼は鈴木(邦男)さんのところの、一水会のメンバーだった人。殺人罪で12年間服役し、獄中で「天皇ごっこ」という小説を書き、それが、針生さんが議長をやっていた新日本文学会の文学賞に入賞した。二年前に46才の若さで自殺した。
「いづれ見沢知廉の映画をつくりたいと思っているんですよ」と、ぼくは云った。
「えっ大浦さん、見沢やるの。それは是非やってほしいなぁ」と彼。
「ええ、必ずつくりますよ」と、ぼく。
「いいねぇ、是非やってよ」と彼。
篠田さんと話をしていると、矢継ぎ早に言葉が出てきて、どんどん進んでいく。お客さんを前に、舞台の上でトークをしているのを一瞬忘れて、二人で話し込んでいく。これで酒でもあったら、朝まで話すね。
何かそんなリラックスさせる柔らかでほんわかした空気を、篠田さんは体から発散させていた。
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2007年03月18日 13:07

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月18日(日)快晴。
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図1     図2     図3

妻の郁ちゃんは、よく物を拾ってくる。
図1の「銅製やかん」もそうだ。取っ手が木で出来ていて、大きさも程々。形もしゃれている。銅は熱伝導がいいので、あっという間に沸いてしまう。もう10年以上も使っている。
「なんでこんなのを捨てるのだろうね、もったいない。」と云っては、また何か拾ってくる。
図2の「蒸し器」も家の近くで拾ってきたものだ。
ステンレスで出来ていて、形も大きく、上下に分かれている。それを使って郁ちゃんは、次々と料理をつくる。
例えば、しゅうまい、山菜おこわ、中華まんじゅうとか、蒸し鳥、かぼちゃの肉詰めなど。とても重宝(ちょうほう)している。
図3の、彼女がいつも座っている「座イス」もそうだ。
今では座イスが郁ちゃんの体型にすっかり馴染(なじ)んで、似てきた。大分痛んできたけれど、どうしても捨てられない。柄模様のカバーを掛けて大事にしている。
そのようなことを繰り返しながら、郁ちゃんは生活を楽しんでいる。

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今日のゲストトークの中ザワヒデキさんは、科学者のような風貌だ。
実際に、元は眼科医だったそうだ。細身で背が高くダンディー。いわゆる従来の芸術家風といったタイプではなく、もの静かで理知的な話し方の人だ。(じゃぁ、絵描きはおしゃべりで、理知的じゃないのかと云われても困るけど)。
口から言葉を発する前に、頭でしっかり構築して、意味を確認してからおもむろに言葉が述べられていく、といった感じ。
中ザワさんの仕事自体も、美術を成り立たせている構造そのものを疑ってかかるところから出発しているように思う。
ぼくたちが自明と思っていた、「絵を描く」「ものを造る」という行為が、実は単なる網膜の幻想でしかないのではないかと、中ザワさんは考える。そのような思考の連続を通して、「美術の原型」を提示しようとしている。
トークでは、二人で観念芸術家の松澤宥(ゆたか)について話をした。
ハガキの無地の面に、「白色の円」が描かれていると想像せよ、と指示するような作品。あるいはダダ的側面としての「人類滅亡」を唱え続けていた松澤宥。
実は、前作「日本心中」での針生さんの対談相手として、まず最初にお願いしたのが松澤宥氏だった。
針生さん宅に、打ち合わせのために松澤さんと訪ねたこともあった。企画書も出来上がっていたけど、どういうわけか結局撮影は実行されなかった。その理由がなんだったのか、今となっては思い出せない。
中ザワさんが提唱する「方法主義」ということで云えば、ぼく自身も、「映画のための映画」「映画の原型」を目指す点では中ザワさんと同じ。
ぼくは、この現実にあるものは実は見えてないと思うし、この世界の裏側、あるいは背中に張りついた風景を通して、世界の原型に近づきたいと思っている。
中ザワさんとぼくでは、方法論は決定的に違うけれど、新たな世界の認識を模索している点では同じかなと思う。
近年まったくめずらしいタイプの観念美術家、中ザワヒデキさんに会って、久しぶりに新鮮な思いがした。
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2007年03月17日 14:06

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月17日(土)曇。

2時半頃、ポレポレビル一階にある喫茶店で、針生さんとスタッフの田上さん、ぼくでコーヒーを飲んでいた。今日のトークゲストの土井たか子さんを待っていた。緊張するなぁ。針生さんと話していても、なんとなく上の空状態だ。針生さんもいつになくテンションが上がっていて、声も大きい。目も光り輝いている。こういう時の針生さんは魅力的なんだ。なんとも云えず良い味を醸(かも)し出している。
3人で取り留めもなく、どうでも良い話をしていると、ふいに土井さんが秘書の五島さんを伴って現れた。
「あっ 本物だ。そっくりさんじゃない。」
全員自己紹介して、テーブルを囲んで雑談。秘書の五島(昌子)さんと針生さんが古くからの知人でもある関係で、今日の土井さんとのゲストトークが実現した。五島さんは終始ニコニコしながら、土井さんの側に控えている。とても感じの良い人で、その場がなごやかな雰囲気に包まれていく。自然と全員の緊張感もほぐれていく。
「五島さんのような秘書を持つと、主役が引き立つんだなぁ」と、五島さんの有能ぶりを目の当たりにして、内心うらやましく感じていた。
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土井さんはテレビで見るより細身で背が高い、ひじょうに穏やかでもの静かな方だ。それでいて、どっしりとした安定感がある。思わず悩み事を相談したくなった。なんでもしゃべって、心の内を暴露したくなる。土井さんならきっとわかってくれると思わせる、何か不思議なオーラを発散させている。

いよいよトークが始まった。
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土井さんは戦前女学生の時、大の映画ファンだった。そしてヘンリー・フォンダが大好きだったという。ある時、ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演のリンカーンを主人公にした映画を見て、政治家になることを決意した。リンカーンが政治家になる前、弁護士として黒人奴隷を擁護していた。それによってリンカーン自身も白人社会から非難され、白眼視されていた。しかしリンカーンは自分の意志を曲げず、信念を貫いていく。そしてアメリカ大統領になった。そのリンカーン(ヘンリー・フォンダ)の姿を見て、土井さんは自分も政治家になろうと決意する。そのためにはまず弁護士になろうと思う。映画館に入る前と出てきた時の自分の顔はあきらかに違っていた。人生の目標をはっきり掴んだと、その時感じた。
そのような政治家としての出発点の話を土井さんはした。ぼくも会場のお客さんも初めて聞く話で、とても興味深かった。
当初、針生さんは今日のゲストトークの予定ではなかったけれど、「土井さんが来るんだったら、ぼくも来ないわけにはいかないでしょう。」と、急遽(きゅうきょ)駆けつけてくれた。

針生さんは戦前、皇国少年で戦後は左翼になり、共産党に入った。しかし共産党のマキャベリズムとは相入れず、やがて除名となる。社会党の方が、自分の意見と近い存在だと思い、次第に社会党に心情的に近づいて行ったという。
「社会党」という言葉が出たので、ぼくは煥発(かんぱつ)入れず土井さんに聞いた。
「針生さんの言っている社会党について、土井さんはどう思いますか?」
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とすると針生さんは
「まだ話は終っていない。これから先があるんだ」
と言って、また話し出した。なんとか今日の主役の土井さんに多くを語ってもらおうと思っていたぼくの思惑(おもわく)は空振りする。そう簡単に引っ込む針生さんではなかった。
「ひとまず、ここで。」
針生さんの話がやっと終った。
「さぁ、土井さんの話を聞くぞー」
とぼくは気合いを入れて、土井さんに水を向ける。土井さんといえば“護憲”。そこからは土井さんの独壇場。張りのある太い声が会場に響きわたる。
「すげぇ迫力あるなぁ」。
テレビでよく見るあの土井たか子だ。おたかさん節全開だ。
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「憲法ができて、たったの60年。その憲法を私たちはいまだ生かしきっていない。その憲法を今、安倍政権は変えようとしているのよ」。
「自分は昔は社会党の右派と言われていたのに、今は超左派と言われる。自分はずーっと何ひとつ変わっていないのにねぇ。そう言っている人たちが勝手に変わっていっただけなのよ」。
途中で針生さんが、改憲、護憲について持論をちょっと言い始めると、土井さんはすかさず、「その考えに反対!」と言った。さすがの針生さんもその気迫に圧倒され、たじたじとなる。針生さんは苦笑するばかりだった。
もう時間も小一時間ほどたっている。会場のうしろでスタッフが、時間オーバーのばってんの合図を先ほどから出し続けている。ぼくは司会をしながら気が気ではない。
遠慮がちに言う。
「あのう、うしろでスタッフが、ばってんを出してますので・・・・・。そろそろ・・・」。その言葉に二人とも何の反応もなく、どこ吹く風。
土井さん、「あら、そう。私、目が悪いから見えないわ」。
うーん、参ったな。手のほどこしようがない。
ぼく自身、もっともっと二人の話を聞きたかった。会場の人たちも同じように感じていたと思う。あっという間の小1時間だった。針生さんと土井さんの掛け合いも絶妙だった。トークが終って 土井さんにぼくは言った。
「今度改めて、土井さん、針生さん、鵜飼さんなどを混じえて、トークの場をつくりましょうよ」。
土井さんは、「是非やりましょうよ。」と言った。

夕方から東中野で、スタッフ一同大いに飲んだ。盛り上がった。

diary 百合花日記

2007年03月16日 16:14

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月16日(金)曇。
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雨宮処凛(かりん)ちゃんに会った。あえて処凛ちゃんと呼びたい。
処凛ちゃんのことは、土屋豊さんのドキュメンタリー映画、「新しい神様」の主人公として、ぼくに強烈な印象を与えていた。
民族派パンクロック「維新赤誠塾」のボーカリストとして、日の丸を掲げてライブハウスで歌い、吠え、叫びまくっていた。やがてそのライブハウスも出演禁止となる。
一水会のメンバーを前にして、「あんたら、つまんないよ」と平気で云う。
北朝鮮に行っても、「ピョンヤンは何もないところだ。スケジュールも全部決められているし、監視されているみたいで退屈だ。早く帰りたいよ」と云ったりする。
よど号のメンバーとピョンヤンで宴会をやった際、「連中、普段はすごく良い人たちなんだけど、酒が入ると途端にイデオロギーの話になって、ついて行けないよ」と、手持ちカメラに向かって小言でぶつぶつ呟く(つぶや)いたりする。縦横無尽な処凛ちゃんの魅力とパワーが、画面から遺憾なく発揮されていた。
その処凛ちゃんが今、ぼくの目の前にいる。アキバ系の女の子たちが着るような、メイド服の変形した洋服に、高い上げ底の靴を履いて、それこそ凛として座っている。
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すごく慎ましやかで、ナイーブな人だ。小さな声で自分の内面に潜む言葉を確認するように、ゆっくりと静かに考えを述べていく。傷つきやすい、ガラスのような心根を持った人だと、すぐに直感した。その心根の中にとてつもなく大きなやさしさを抱え込んでいる。
帰国したよど号のメンバーの娘さんたちの面倒をみて、自宅に泊めてあげたりもしていた。重信メイさんとも、東京拘置所でお互い面会人同士として、しょっちゅう顔を合わせる仲だ。
その処凛ちゃんが、最近は作家として立て続けに本を出している。それも弱者の目線に立っての著作ばかりだ。
トークでは、昨日出たばかりだという「生きさせろ!」(太田出版)という本に添って、ぼくと二人で話をした。
この本では、フリーターやニート、ひきこもりといった、社会から疎外されはじき飛ばされてあがいている人々の地平から、資本主義という制度がその内部に抱える矛盾を白日のもとに晒(さら)していく。
彼女自身、10代の頃から20代中盤まで自傷行為が続き、オーバードーズも習慣としていたと云う。薬を飲みすぎて救急車で運ばれ、地獄の胃洗浄を受けたことも一度や二度ではなかったと云う。
だから自分と同じ経験をしている彼等の気持が痛い程わかるのだ。
その彼等、フリーターやニートやひきこもりの連中が立ち上がった。自分たちのことを「プレカリアート(不安定な労働者階級)と呼び、お互いに連帯し、アパートの家賃不払い運動や、「職をよこせ!」「賃金を上げろ!」「俺たちは食えないぞ!」と訴えていく。
処凛ちゃんはそれらの人々の集会やデモに参加し、彼等の切実な声に耳を傾け丁寧に取材を重ね、その実情をルポしていく。
そのようにして出版されたのが「生きさせろ!」だ。出来たてのほやほやで、熱い湯気が立っている。
彼女は云う。
「この運動は、かつての米騒動や百姓一揆と同じなのよ。イデオロギー抜きの『新たな革命』なの」と。
この新しく沸き上がってきた底辺からの声を、「新たな革命」と捉える処凛ちゃんの感受性をぼくは信用する。
本の中で彼女は、「我々は反撃を開始する」と高らかに宣言する。
自分自身の心の痛みを抱えながらも颯爽(さっそう)として、処凛ちゃんは今日も行く。
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2007年03月15日 12:53

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月15日(木)曇。
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阿部(嘉昭)さんのトークは精力的だ。速射砲のようだ。
前作「日本心中」の中で描かれている「刺青」の意味について、ユニークな論を矢継ぎ早に展開していく。
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「縄文人は皆、刺青を入れていたんだよ。それが弥生になると、刺青は野蛮なものとして忌み嫌われ、生活の中から排除されていった。その弥生人を起点とする天皇制のもとでは、当然刺青は否定され、犯罪者の顔に入れるといったように、社会の負の要素としての位置に貶(おとし)められていったわけね。
だから逆説的に云えば、刺青は天皇制を否定するものなんだ。その刺青を大浦さんは「日本心中」の中に取り込み、針生一郎の言説の背後に忍び込ませていった。それは完全なる天皇制の否定なんだよ。この表現はすごいことだと思うよ」と。
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反(かえ)す刀で阿部さんは、今回の「9.11−8.15」に出てくる登場人物の「顔」の描かれ方についても言及する。
「鵜飼さんや針生さんの顔を暗くして輪郭をぼかし、特定出来ないようにしていく。そのことによって一つの固定した「顔」に対する我々の概念を打ち砕いていく。それに変わって登場人物たちの新たな「顔」をつくり出し、画面に幾重もの顔として拡散させていった」。
「魯迅が云っていた言葉だけど、1920年代の中国人の顔は皆のっぺりとしていた。ところがその後、立体的な顔立ちに変わっていったんだね。なんでだと思う。それはね、中国の社会に欧米の映画が入ってきたからなんだよ。それで中国人の顔も、次第に立体的になっていったと云うんだね」。
「重信メイの顔は、アジアの顔じゃないね。あれは世界人の顔だね。どこにでもありそうで、どこにもない顔ということだ。云ってみれば分節された無数の重信メイがいて、その彼女が金芝河に会いにいったんだよ。そこから次第にアジアという概念も変容していくということだね」。
うーん、さすがに映画評論家だなぁ。まさに阿部語録だ。だてに映画を数見ている訳じゃないんだね。よくまぁ、核心を捉えてそれを自分の側に引き寄せて論を張るものだなぁと、唸(うな)る。
評論家と喧嘩する時は、余程気をつけなきゃな。逆に返り血を浴びるね。
「今度また一緒に飲もうよ」といって、東中野のホームで別れた。
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2007年03月14日 15:37

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月14日(水)晴。

午前中、ベランダに出てタバコを吸っていた。
烏(カラス)が三羽、空に舞っている。そのうちの二羽はお互いにちょっかいを出しながら、前になり後になり、じゃれ合って飛んでいる。何かいいことがあるのだろうか。

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(大野)慶人さんは、いつ会っても端正な顔立ちをしている。
鼻筋が通っていて、横から見るとドイツの古いコインに彫られた皇帝の横顔のようだ。
黒のタートルネックに黒の上下の背広、スキンヘッドで颯爽(さっそう)としている。年齢を感じさせない。
慶人さんには、前作「日本心中」に出てもらった。
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長野にある長谷寺の山門で、「ウサギのダンス」の曲に合わせて踊ってもらった。
7月下旬の早朝4時50分。日の出前の瞬間をねらっての撮影だった。日が登る直前のわずか10分間の勝負。青白い薄もやが立ち込める中で、「ウサギのダンス」のテークを2回撮ってOK、うまくいった。
ちなみに、この「ウサギのダンス」の日本心中での使われ方を、鶴見(俊輔)さんはとても気に入ってくれていた。
「針生さんがベンヤミンの話やいろいろ難しい話をしているところに、突然に『ラッタ ラッタ ラッタ 兎のダンス』が出てくるでしょう。あれで感激したんだねぇ。わーっと。あれはとっても解放感があって愉快だったんだ。大野慶人でしょう。しかもお寺の山門みたいなところで踊るんだ。ありゃすごいね。ああいうものが、ばぁっと自分の中に入ってくるわけ」と。
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トークで慶人さんは、大野一雄さんのこと、舞踏の基本的構えなどについて話した。
「大野一雄は生涯、土台づくりをしていたんじゃないでしょうか。決して上に家を建てないで、下ばかり耕していた。だから遠心力を持っていたと思うんです。
土方巽さんは、大野と同じことをやりながら、求心力でもってこの世界を掴み取ろうとした」。
「舞踏は、歩く、走る、飛ぶ、ねじるという人間の基本的行為をどんどん削ぎ落として、極限まで持っていく作業です」と。
この削ぎ落としていく作業ということは、ぼくのつくっている映画でも云える。
つい、以前よりも今、今よりも次というようにスケールを大きくしていきがちなものだ。そのことが成長し発展していくことだと、つい錯覚を起こしてしまう。決してそんなことはないのだと、ぼくはいつも自戒する。
だから次につくる映画はもう一度、20代で映画をつくっていた自分の原点に立ち帰ろうと思っている。
スケールも縮小し、すべての要素を削ぎ落とし、シンプルこのうえないものをつくりたいんだ。改めてもう一度、白黒映画をつくるんだ。映画の原型みたいなものをつくりたいんだ。
慶人さんの話を聞きながら、そんなことを思っていた。

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2007年03月13日 14:52

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月13日(火)快晴。
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熊谷(博子)さんに会いたかった。会って話したかった。
だから今日は朝からソワソワして落ち着かない。
熊谷さんは「三池 終わらない炭鉱の物語」というドキュメンタリー映画をつくった。
「三池」は久しぶりに出会った丁寧なつくりの真摯(しんし)な映画で、心が洗われる。ぼくと造り方は正反対なだけに、余計引きつけられる。監督は三池について云いたいことは山ほどあるだろうに、それをグッと押さえて最小限度の言葉に還元し、ただただ対象を見詰めていく。
その結果、監督の眼差しは次第に対象に乗り移り同化され、登場人物たちの存在を豊かなものにしていく。その彼等の言葉の連なりの中から、三池の歴史がジワリと立ち上ってくる。
ぼくが「三池」を見た時、横に座っていた中年の女性は、声を上げて泣いていた。若い人たちもたくさん見に来ていた。
そのような映画を撮った熊谷さんは、いたって真正面を向いている人。そこには一点の曇りもない。なんのてらいもない。
その生真面目一直線の熊谷さんだから、あのような心に深く染み入ってくる映画がつくれるんだなぁと思う。
トークで熊谷さんは語っていた。
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「私がドキュメンタリーをつくる時、いつも心に決めていることが三つあるんです。それは自分が裸になること、ラブレターを書くこと、そして対象について猛烈に勉強すること」。
とても印象に残る言葉だった。
ぼくのように想像力や倍音をもった観念を武器にして、この現実の裏側へ行こうとしている者からすると、熊谷さんの映画は、そういう自分を一瞬ハッと立ち止まらせ、もう一度あなたの足元を見つめ直しなさいと教えてくれているようで、啓示に富んでいる。原点に立ち返る勇気を与えてくれる。
熊谷さん、またお会いしましょう。
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2007年03月12日 14:39

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月12日(月)快晴。

ポレポレに行くのに、代々木上原で乗り換えるのを忘れて表参道まで行ってしまった。
東京スポーツ、”小川と高田の確執”という記事を夢中で読んでいた。どうなるんだろう、この二人。
あわてて引き返して映画館に着くと、針生さんはもうすでに来ていて、スタッフと話をしていた。
針生さんは4日に続いて、2回目のゲスト出演。
「9.11-8.15」のホームページに投書欄があって、針生さんへの感想がたくさん書き込まれている。
「針生さんの話をもっともっと聞きたい・・・・これって恋?!」、
「鬼論客だろうと思っていた身構えを打ち砕いてくれた」、
「自分の失敗を謙虚にさらす気概」、
中には「監督トークという名の針生独演会」というのもあって、針生さんへの期待度がこちらサイドにも伝わってくる。
それで前回に引き続き、今回もたっぷりと針生さんに語ってもらおうとぼくは考えていた。
しかし舞台の上で針生さんは、「大浦クンから何かしゃべってよ」と云う。おっと、フェイントだ。不意を突かれて慌てた。しょうがないので撮影時のエピソードを話すことにした。
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大久保のコリアンタウンの一角にある、韓国料理店での針生さんへのインタビューの時のことだ。
三つの部屋を使っての撮影のために、スタッフ一同朝9時から仕込みに入っていた。三つの部屋が全く別の場所であるような空間につくり変えていく。その中で三つの主題に絞って、針生さんに話を聞いていくのだ。
いつもそうだけれど、セッティングはいくら時間があっても足りない。またたく間に時間が過ぎていく。ましてや同時に三カ所での撮影。2時からの本番スタートがあっという間にやってきた。全員昼飯抜きということになってしまう。食べている暇がない。
そういうことはよくある。
この映画の爆破シーンを撮影した時のことだ。我々スタッフは、朝8時に奥多摩の現場に到達。午後からの爆破シーンの撮影に合わせて、総勢15、6人のスタッフはてんやわんやの忙しさだった。そのため、弁当は用意してあったけど、カメラマンの辻クンとカメラ助手の戸田クンは昼飯にありつけなかった。
結局弁当を食べたのは、撮影が終り器材を片付けた後の、夕方6時頃だった。
そのようにして、あの秋深い山間の小屋爆破シーンは撮った。
で、話を韓国料理店にもどすと、ぼくたちはなんとか2時までに準備を終え、あとは針生さんの到着を待つだけになった。しかし、待てど暮らせど針生さんは来ない。もしやしてと、いやな予感が走る。2時半過ぎに針生宅に電話。針生さんはしっかりと家にいた。
「えっ、明日じゃなかったの」「すぐ行きます」。それから1時間半後、おもむろに撮影場所に到着。
「大阪に行ってなくて良かった」と、最悪の事態だけは回避されたことに感謝し、ホッとする。
その他、針生さんにまつわる幾つかのエピソードを話した。
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例えば、街を歩く針生さんの歩き方が、フェリーニの「81/2」に出てくるマルチェロ・マストロヤンニの歩き方を彷彿(ほうふつ)とさせる、と知人が云っていたという話など。
それらの話に引き続いて針生さんのトークが始まった。いつものように後半に入るにしたがって調子が上っていく。結局今日も45分程のトークになった。
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その後、針生さんと、CMディレクターの和田クン、ぼくの三人で、小田急線に乗って帰った。
電車の中で和田クンが、この映画の後半、針生さんが「夢の果てまで」というセリフの意味を取り上げていて、「あの一言は、今まで進んできた映画の流れを一挙に引っくり返してしまう強い衝撃力を持っている」と云っていた。
針生さんもぼくも「なるほどねぇ」と、そのユニークな考えに耳を傾けていた。
たしかにあのセリフは、クリシェ(紋切り型)として、意図的に臭いものとして使ったもの。映画の中で成立する暗黙の記号。映画という神話的時間での出来事。
和田クンは成城学園前で、針生さんは読売ランドでそれぞれ降りた。ぼくは新百合ケ丘で降りた。

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2007年03月11日 17:15

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月11日(日)午前中雨、のち快晴。

アカシアの花が黄緑に色づいてきた。
その木が何本も並んでいると、視界がパッと黄金色になって、一瞬、異世界にいざなわれるよう。
「アカシアの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい」と歌う西田佐知子。マイクの影に隠れてしまいそうなほど細身の西田佐和子。古いなぁ。
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今日のゲストは映画監督のジャン・ユンカーマンさん。
中で映画を見ていて、終り頃ロビーに出てくる。
「今日で二回見たけど、二回見ると分かりやすい映画だね」と開口一番。
ユンカーマンさんは、「日本国憲法」という映画を二年程前につくった。
だからその話を聞きたいと、ぼくは思っていた。
RIMG0018.JPGトークで彼は答える。
「日本国内だけで改憲だ 改憲だと騒いでいるけれど、そこにはアジアからの視点、外国からの視点が確実に欠如しています。外からの視点でもう一度、日本国憲法を捉え直そうと考えたんだ。するとそこから、我々が日常気が付かなかった新たな光が見えてくるんですよ」と。
それを受けてぼく。
「68年型の硬直した革命観や、それに変わっての70年万博に起因する新たな歴史認識のそれぞれに決定的に欠落しているものは、アジアから世界を捉える視点。
アジアの民衆の底辺に横たわる神話性を、「革命的解釈としての神話(金芝河)」として再生させ、現実の世界の中にどう取り入れていくかということではないか。それは根拠のない妄想ではない。人々の魂が叫ぶ声に耳を傾けていく、ということなのです」。
そこから新たな「宇宙音楽的世界観」が開かれていくのではないか、とぼくは思っている。
さらにユンカーマンさんは、こうも述べていた。
「アメリカの巨大メディアは、徹底的にブッシュや国防省、国務省が報道するままを伝えているだけ。そこにはメディア独自の目を通した批評精神が働いていないのです。だから、自浄作用といったものも生まれてこない。それは怖いことだ」と。
それは、欧米の報道を真に受けただけの日本でもそうだ。
「自爆テロ」という言葉を、なんの疑いもなく、そのまま使っている。あれは自爆テロなどではなく「自爆攻撃」と云うべきものなのだ。9・11が起こる以前からの、米国が行ってきた「国家テロ」こそが問題。
このようなメディアの流す報道の欺瞞(ぎまん)性を描いた映画、「チョムスキーとメディア」が、今ユーロスペースで上映されている。
是非見て下さい、とユンカーマンさん。
彼の軸足のぶれない一貫した批判精神に、ぼくは背筋がしゃんとなる。
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2007年03月10日 16:29

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月10日(土)

今日のトークは午後3時から。外は雲一つない大快晴。
気持が良いので、久しぶりに駅まで自転車で行くことにする。
多摩丘陵のけやき並木の坂を、スイスイと自転車を漕(こ)いでいく。
「あっ、木蓮(もくれん)が咲いている」と気づく。真青な空に高くそびえて咲く木蓮。奇麗(きれい)だなぁと思う。
すると突然、「ホーホケキョ」と鶯(うぐいす)の鳴き声が飛び込んできた。「ホーホケキョ」と最後まで鳴いた。というのは、この時期、鶯はまだ「ホーホケ、ホーホケ」としか鳴けないんだ。
ぼくの経験によると、完全に鳴き切るようになるには、5月下旬頃まで待たなければならない。これも暖冬のせいかなと思いながら駅までいった。
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2時半過ぎ、ポレポレに着いたら、今日のゲスト足立(正生)さんはもう来ていて、スタッフの田上さんと談笑していた。
足立さんは伝説の人。60年代、若松(孝二)さんとのコンビで、問題作を立て続けに連発していた。
足立さんの脚本で若松さんが監督。政治と暴力とエロスの饗宴映画。
足立さん自身も、『鎖陰(さいん)』、『女学生ゲリラ』、『略称・連続射殺魔』などの映画をつくっていた。
難解な映画と、難解な文章の足立さん。
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でも本人はいたってニコニコしている気さくな人。でもある瞬間、キラリと60年代闘士の面影が光り、鋭い。
その足立さんが35年ぶりに撮った映画「幽閉者・テロリスト」が、ユーロスペースで昨日まで上映されていた。
深く考えさせられる映画で、一言では云い難い。ズシーンと腸(はらわた)に一撃を食らわされる感じ。1972年、イスラエルのテルアビブ・ロッド空港乱射事件で掴まった岡本公三をモデルにはしているけれど、決してそれを再現する映画ではなく、どこかにあるもう一つの場所で密かに進行する、一人の男の心の闇との葛藤と、牢獄(国家)の闇との入れ子構造によって出来上がっている映画。それを表現するために、カメラの視点は遠近感をなくすように設計し、意識的にフラットな画面をつくり出していく。
現実の生を硬く踏みしめた果ての、その向こう側にあるもう一つのリアルを希求し、遠い希望への予兆を暗示して終る。
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足立さんは、パレスチナに行った重信房子さんをリーダーとする日本赤軍に合流するために、1974年、日本を立った。
だから重信メイさんを赤ん坊の時から良く知っていて、ミルクを飲ませたり、おしめを取り替えたりしていた。いわば父親がわりのような人。
日本を忘れないために本を取り寄せて、紅葉(もみじ)の絵を見せながら、そこに小さなメイさんの手を置いて、「紅葉は赤く色が変わっていくように、メイの手もだんだん大きくなっていくんだよ」と、語りきかせたりしていたという。
トークの話も当然メイさんを中心とした話になる。
映画の中でのメイさんの描かれ方についても、ついつい辛口の批評になる。
「もっと深くメイの内面をえぐり出せ」と。
「ごもっとも」と、ぼくは反論なし。だってお父さんの前だ。下手(へた)なことが云える訳がない。黙って聞き入るばかり。
誰だって自分の娘が可愛いんだ。
で、突然に「ドラマやらないの。大浦さんがドラマやるとおもしろいよ」と云う。
待ってました。「実はこの映画の裏バージョンを撮影終了時から考えていて、戦争画を描いていたお父さん(島倉二千代)が失踪し、その娘(岡部真理恵)が父親を捜し回っている。
町で偶然メイさんに会う。実はメイさんは私立探偵。二人で失踪した父親を探す。針生さんは娘のおじいちゃん役で、爪(つめ)を切ったり、タバコを味わい深く吸っててもらう。捜しに捜してとうとう父親を見つける。その場所は、家から数分のところにある小屋だったというサスペンス・コメディ。
最も近いのに、永遠に辿り(たど)り着けない螺旋(らせん)する現実の時間と空間の物語」と、ぼくは説明する。
足立さん、「ああー、メイが私立探偵なんてダメだ。メイには探偵は無理だ」。
ウーン、処置なしだな。
でもこの物語は気に入ってくれていた。「ぼく、そういう話大好きだな、スパイラルしていく話」と。
トークが終って帰る時、「今度何かあったら、一緒に何かしようよ」と足立さんは云った。
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2007年03月09日 19:50

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月9日(金)曇。
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夜7時30分過ぎ、ポレポレ東中野に行く。
今日のゲストの森(達也)さんはもうすでに来て、中で映画を見ているという。
森さんと話すのは楽しみ。ぼく自身、森さんにいろいろなことを聞きたい。
映画が終る直前に、会場から森さんが出てくる。久しぶりに見る森さんの第一印象は、「若いなぁ」だった。前回の日本心中の時もゲストとして出てもらった。あれから4年程経つけれど、その時とまるで変わっていない。ふさふさとした黒髪で、颯爽(さっそう)としている。万年文学青年のようだ。とても50才に見えない。なんといっても森さんの、あの大きな少年のような目が素敵だ。

森さんはかつて、オウムを題材にした『A』や『A2』を撮った。
2年前には、『拝啓 天皇陛下様』という、憲法第一条の「象徴天皇」の意味を問うドキュメンタリーをフジテレビの「NON FIX」という番組で撮ることになっていた。今上天皇を被写体にするドキュメンタリー。企画書も通り、オンエアーの予定も組まれていた。カメラも30時間程回し始めていた。ところがフジの上層部からの圧力で中断を余儀なくされる。
当時、森さんが「天皇」を撮っているという話は聞いていた。そしてしばらくして、降板したという噂(うわさ)を耳にした。
森さんはメディアの世界にいながら、絶えずそこからはみ出している。境界線に立っている。
ぼくは、『A』や『A2』と『拝啓 天皇陛下様』との間に横たわる、森さん自身の天皇へのこだわりを聞きたかった。
トークの内容は当然そこへ向かった。
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森さんの話。
「今上天皇は『日の丸』『君が代』に対して、複雑な思いが実は胸のうちで交錯しているのではないかと思う。人間でも神でもない宙ぶらりんな自分の存在の内面を見つめて、矛盾や葛藤を抱えているんじゃないかと ぼくは妄想する。もし そうだとしたら、それは、この国全体が軋(きし)んでいるんだ。今上天皇のうちなる葛藤と、自分のそれへの『思い』を一人称で記録したかった」。

純粋で真っすぐな性格の森さんをみていると、何かホッとする。
等身大でものを考え、とんがっていて、むきになって権力に向かっていくところがぼくは好きだ。
その森さんが、「もう2年間なにも撮っていないんだ」「だからこんなところに出て来て、映画監督として紹介されるのは、何か居心地が悪くていやなんだ」と言う。ぼくはその正直さに感じ入る。
でも森さん、大丈夫ですよ。映画は5、6年撮っていなくても、あるいは10年冷や飯を食っていても、公開すれば、「○○監督、待望の新作」「構想10年、満を持しての登場」で充分通用しますから。人々は必ず待っていてくれます。見ていてくれる。森さんの一途な性格は、いずれ自分の内部から突き上げてくる主題に抗(あらが)いきれず、それは次第に発酵し、熟した大きな果実となって立ち現れてくると、ぼくは信じている。

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トークが終ってロビーに出て、二人でテキストにサインをしている時、森さんは、ひとりひとりに「ありがとうございます」と言って、深々と頭を下げ続けていた。
ぼく以上に頭を下げていた。
この真摯(しんし)な森さんの姿を、ぼくは忘れない。

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2007年03月08日 12:10

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月8日(木)晴。

小倉(利丸)さんに久しぶりに会った。
小倉さんとはもう随分長いつき合いになる。ぼくの大切な盟友の一人。
彼は、「天皇コラージュ作品問題」を1986年の発端から、ずっと引っ張ってきた人だ。この問題が抱える「天皇とアート」という表現の核心を当初から突き、それを市民に呼びかけ、事務局長のような役割の中で孤軍奮闘してきた。ぼく一人では、巨大な制度に立ち向かっていっても、途中で息切れしただろうと思う。
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そんな小倉さんとぼくとの関係だから、トークでの話もかみ合って、どんどん進んでいった。30分の予定を軽く越え、45分近くもしゃべった。もっと時間が欲しかった。
そもそも今回の「9.11-8.15」や前作「日本心中」という映画をつくってきた発端は、「天皇コラージュ作品問題」に起因する。14点の版画連作「遠近を抱えて」は、皮膚の毛穴にまで染み込んだ内なる天皇とぼくの自画像を描いたものだった。
そして、「遠近を抱えて」という同名の映画をつくったのは、一個の人間が抑圧されながらも表現し続けていくことの意味を、それこそ玉砕覚悟で国家や権力に向かってぶつけたかったからだ。
その主題は受け継がれていく。辿り着けない遠い未来の希望に向かって、ますます日本近代の闇に降りていく自分感じる。
次の映画は「筑豊」をやりたいんだ。あそこには朝鮮人強制連行で連れてこられた人々と、沖縄、奄美からやってきた人々が、差別されながらうごめき回っていた場所だ。しかし筑豊という近代の闇の地底には「シャーマニズム」を媒介にして、豊かな祝祭の場が形成されていたと、ぼくは仮定する。この場所で、朝鮮と沖縄、奄美のそれぞれのシャーマニズムが融合して、独特の「筑豊シャーマニズム」が誕生したと考える。最底辺でありながら最も豊穣(ほうじょう)な空間が、そこに出現していたのだと。
地底から噴出する無数のシャーマニズムが発する微光は、やがて国家をも越えていくだろう。国家という制度を解体していくだろう。
これを「革命」というんではなかったか。文化による革命と。

ougra1.JPG小倉さんと話をしていると、ついつい本音でしゃべってしまう。
小倉さんはいつも忙しい。トークが終るとさっと帰っていった。「じゃ大浦さん、これで失礼」と云いおいて。

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2007年03月07日 14:22

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月7日(水)晴。

朝から空が高く、澄み渡っている。
ベランダ10階から、山梨の方を眺めていた。
かすかに遠く、白い雪をかぶった南アルプスの山並みが見える。
ここに移り住んだ当初は、川崎・麻生区から南アルプスが見えるなんて信じられなかった。
でも南アルプスらしい。
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今日、トークで若松(孝二)さんに会った。
若松さんはこの一月末に、念願の、またライフワークでもあった「連合赤軍」を撮り終えたところだ。編集も第一稿が上がったとのこと。意気揚々として若い。
この連合赤軍のカメラは、前作「日本心中」、本作「9.11−8.15」の撮影を担当した辻(智彦)クン。若松さんの前作「17歳の風景」も辻クンのカメラ。
それで自然と話は、連赤のこと、辻クンのカメラセンスについてのことなどになっていった。
連赤撮影時のメーキングが、10分程のDVDになっていたので、トークの途中で、観客と一緒に見た。
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驚いた。これはおもしろい映画になるなぁと、直感した。
画面に緊密度があり、迫力がある。
ぼくが見たのはメーキングで、辻クンのカメラそのものではないけれど、それでも充分、作品の出来の良し悪しはわかるものだ。
現場のせっぱつまった極限状況と、役者さんたちの熱気が伝わってきて、思わず身を乗りだして見ていた。
画面を凝縮し、監督の意志で切り取り、余分な要素をどんどんはじき飛ばしていく。
そして小説でもない、演劇でもない、映画そのものの言語を創り出して、文法化していく。
赤ん坊が生まれ出て、オギャーと泣いて、自分の皮膚感覚でこの世界を認識していくように、若松さんは初々しい眼差しでこの世界を切り崩し、再構築していく。
かつて若松さんが戦っていた60年代全盛時の、激情と艶(つや)が戻ってきたと感じた。
メーキングを見た後、再び若松さんとトークを開始したけれど、ぼくの心は高揚していた。
辻クンがこれでまた、一段ステップを上ったことを確信する。
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diary 百合花日記

2007年03月06日 16:45

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月6日(火)曇のち雨。
8時40分起床。今日は朝からうどんをつくった。味噌味にして、ほうれん草、豆腐、薄あげ、ネギ、卵などを入れて食べた。
ぼくにとって朝からうどんはめずらしい。七味唐がらしが、味を引き立ててくれた。
窓辺に置いてある胡蝶蘭の花が一つだけ、咲き始めていた。
丸い大きな蕾をパックリと突き割って、紫の花を覗かせている。
12個程ある蕾は、これから順次花をさかせていくのだろう。

今日のゲストの鈴木邦男さんは、笑顔がすばらしい。
会うといつもニコニコしながら、ぼくを向かい入れてくれる。
鈴木さんとは、「天皇作品問題」でお世話になって以来の付き合いだ。
今日のトークは、藤田嗣治の戦争記録画「アッツ島玉砕」を契機にしての話になった。
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鈴木さんは、大東亜戦争時、アリューシャン列島の、ある島の日本人住民5千人程が、米軍の包囲網をかいくぐって、濃霧の中を脱出した話を披露した。
見事に脱出されてしまうと、大日本帝国軍部としては本土決戦へ向けての悲壮な決意が弱まってしまうので、困る訳だ。それで、アッツ島やサイパン島の玉砕の絵を描かせて、米軍に対する敵意を煽り(あおり)たて、本土決戦に向けての民衆の覚悟を意識的につくり出し、扇動していったのではないか、と。
なるほど、そういう視点もあったかと、鈴木さんのユニークな思考に聞き入った。
また、最近ビデオ屋にいくと、かつての日本の戦争映画がDVDに焼き直されていて、やたらと多い。危険な徴候だと、警告してもいた。
トークの後、鈴木さんと、一水会のメンバー数人、劇団「再生」を主宰している高木(尋士)さん、ぼくの娘の未来(みく)、スタッフの田上さんたちと、ポレポレの近くの居酒屋で話し込む。
その中での話。
ぼくは、かつて一水会のメンバーで、二年前に46歳の若さで自殺した見沢知廉の映画を、いずれ造りたいと前々から思っていた。
鈴木さんもそのことは知っていて、居酒屋でも当然その話になった。
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見沢知廉は殺人犯で12年間の獄中生活を送り、獄中から当時針生さんが議長をやっていた新日本文学会主催の文学賞に、「天皇ごっこ」という作品を応募し、入選していた。
その後、自殺してしまう訳だけれども、ぼくはこの見沢知廉になぜか魅せられてしまう。そこに何かあると感じる。
日本を裏側から射ぬいて、自分一人噴き上って空に消えていった。日本の歴史と背中合わせにあるもう一つの風景と神話を抱え込んでいた男ではなかったか。ガラスの破片で出来上がった身体構造と、この現実の時間と空間への異和からくる焦躁感。
一方、劇団主宰の高木さんは、この九月に、見沢知廉の劇を上演するという。三人の女性の三沢が出てくる構成だ。
見沢が三人。それも女性。この着想がすばらしいと思う。
高木さんの、見沢の本質を見抜く眼力におそれ入った。
11時解散。

diary 百合花日記

2007年03月05日 05:36

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月5日(月)曇のち雨。

午後から雨がしとしと降り出した。生暖かい。気温は20度近くもある。
突風が吹き荒れている。台風の影響だ。この3月初旬に台風なんて、聞いたことがない。
こんな日の観客は少ないんだ。「的屋(てきや)殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい」と昔から云うけれど、映画の世界も同じだなぁと思う。同じ水商売だ。
突風と雨の中を、今日のゲストの鵜飼(哲)さんが、沖縄から駆けつけてくれる。
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普天間基地の中にある佐久間美術館で行われた、「アジアのアートと政治」というシンポジウムにパネラーとして出席しての帰り。ちなみに佐久間美術館には、丸木位里、俊夫妻の大作「沖縄戦の図」や、コルヴィッツの作品などが展示されている。
トークでは、そこで発言した内容を踏まえつつ、この映画との関連性に触れ、論を展開していく。そしてぼくに、核心を突いた鋭い質問を放つ。
風景について、神話について、戦後60数年の日本の状況について。また、天皇制の問題等々。
物事の本質を見据え、大地にしっかりと軸足を置いたその地平から発せられる言葉の数々に、ただただ聞き入るばかり。その真摯な態度に、ぼくはいつも尊敬の眼差しを向けている。教えられることも多い。
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今回の映画での針生さんと鵜飼さんの対談は、この映画の骨格を作っている部分でもあり、まさに通奏低音としての映画の色彩を決定する箇所でもある。そこをしっかりと押さえてあれば、あとは自由に波に任せながら、ぼくたちは映画の神話的時間の中を泳いでいくことが出来る。

今日の鵜飼さんの話で印象深かったこと。
「沖縄在住の美術家が、小学校の子供たちと一緒に、沖縄戦で亡くなった20数万の人々の鎮魂を込めて、石に一つ一つ、亡くなった人の数と同じだけの番号をふっていた。そして出来上がった20数万の石を、自然の風景の中に積み上げていく。
やがて石に書かれた数字は、時間の経緯とともにかすれ、消え入っていくだろう。
その無償の営為が、ぼくたちに伝えようとしている意味」。
沈黙の闇から発せられる「石の声」は、静かにぼくたちの心の中に染み入ってくる。
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鵜飼さん人気で、雨にもかかわらず大勢の人々が見に来てくれて盛況だった。ホッとした。

diary 百合花日記

2007年03月04日 16:55

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月4日(日)晴。
今日のゲストは針生一郎さん。
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いやぁー、針生さんは元気だ。82才に見えない。
トークの時、最初にぼくが5分程話し、次いで針生さんにバトンタッチ。針生さんは話し出すと止まらない。30分のトークの予定を軽くオーバーし、50分間、ひとりでしゃべりまくった。30分過ぎたあたりから、ぼくは時間が気になっていたが、途中でことばを挟むのがどうしてもためらわれてしまう。尋常ではない。あれよ、あれよという間に、50分間が過ぎていった。
その熱気。気迫。どうしてもこれは語っておきたいんだという鬼気迫る熱情。とにかく圧倒された。かつて軍国少年だった自己の、盲目的な目隠しされた純粋さを恥じ、戦後は、論壇で声高(こわだか)に唱えられていた「戦争で抑圧されてきた人間性の回復」、あるいは「個人的主体性の確立」といった論調を批判し、「客体性」の回復こそが大切なのだと説く。具体的な自分の体験を踏まえて話を進めていくだけに、説得力がある。
会場の人々も、針生さんの話にどんどん引き込まれていた。
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久しぶりにこういう人物に出会った新鮮さを、感じ取っていたのではないかと思う。

トークのあと、針生さん、工藤クン、田上さんとぼくの4人でポレポレの近くの焼き肉屋で、ビールとキムチで談笑。
鶴見(俊輔)さんはとにかくおもしろい人だという話で盛り上がる。
針生さんが新日文の編集長の時、鶴見さんに天皇制反対の原稿を依頼した際、鶴見さんはこう答えたという。
「天皇制反対といって、両手を突き上げると脇が甘くなる。
すると甘くなった脇の部分に国家権力が付け入ってくる。
だからぼくは、天皇制反対といって手を突き上げないんだ」と。
なるほど含蓄のある話だと感心する。
ビール/中ジョッキ3杯。

diary 百合花日記

2007年03月03日 05:32

監督ノート 百合花日記(ゆりいかにっき)

3月3日(土)曇。
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いよいよ今日から、アンコール上映がスタート。
やはり初日は気が引きしまる。
スタッフの工藤クン、田上さんも緊張気味。こころなしか顔が引きつっている(ように見えた)。前作、本作ともに韓国語監修をやってもらった古川美佳さんも駆けつけてくれた。
今日から始まるゲスト陣の一番手は、重信メイさん。前の仕事が押していて、3時からのトークにぎりぎり駆け込んでくる。セーフ。ハラハラしていた工藤クン、田上さんもほっと一安心。
トークでは二人で熱っぽく話し込み、予定の30分があっという間に過ぎていった。
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その中でメイさんが、映画の最後のシーンで笛を吹く箇所での自分の手の動きと音楽がずれていることを気にかけていた。それについて、ぼくは次のように語った。
「観客として、手の動きと音が合っていないと、杓子定規(しゃくしじょうぎ)に指摘するのではなく、メイさんが笛を吹く“仕草”をしていると捉えれば、そこに動作と音のずれの中から新たな映画の空間が生まれてくる。だからあそこはずれている方がいいんです。そのように想像力を持って見ていけば、そこから豊かな映画的体験が生まれてくるのではないか」と。観客は笑っていた。
この動作と音のずれということでいえば、こんなこともあった。
前作「日本心中」での場面。
針生さんが、韓国・光州の下町商店街を歩き続けていくシーンがあり、そこに彼の独白がかぶる。しばらく独白が続く。すると唐突に独白はフェードアウトして消えていく。それに変わって、キム・ヨンジャの“十三湖の雪うた”という演歌が立ち上がってくる。“競馬ポマード、髪塗りかため、どこへ行ったかあの人は”と歌い上げていく。
観客の、針生さんの話を聞きたいという期待を裏切り、寸断し、そこに異質な要素を持ち込んでくる。ここに生じてくる映像と音のずれが造り出す不協和音によって、映画の時間と空間は俄然豊かな色彩を放ち出す。映画における映像と音の関係とはこういうことだと思う。決して寄り添うことではない。

メイさんとは、ほかにこんな話もした。
「アラブと日本に引き裂かれた2つのアイデンティティを模索するメイさんに、そこにさらに、メイさんの分身である岡部真理恵を挿入する。するとそこにメイさんの無意識の自己が立ち表れてくるだろう。そしてその自己は、韓国・朝鮮の闇に分け入っていく。そのような自己を追認する形で、生身のメイさんが金芝河に会いに行く。映画の中に3人のメイさんが漂っている。そのようなプロセスの中から、新たなメイさんを映画の中に創り上げていく」と。
久しぶりにメイさんに会って、話は尽きなかった。
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